アグリニオ Αγρίνιο | |
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市街のパノラマ | |
所在地 | |
座標 | 北緯38度37分 東経21度24分 / 北緯38.617度 東経21.400度座標: 北緯38度37分 東経21度24分 / 北緯38.617度 東経21.400度 |
域内の位置 | |
行政 | |
国: | ギリシャ |
地方: | 西ギリシャ |
県: | エトリア=アカルナニア県 |
人口統計 (2011年) | |
ディモス | |
- 人口: | 94,181 人 |
- 面積: | 1,246.7 km2 |
- 人口密度: | 76 人/km2 |
旧自治体 | |
- 人口: | 59,329 人 |
- 面積: | 16.27 km2 |
- 人口密度: | 3,647 人/km2 |
キノティタ | |
- 人口: | 48,645 人 |
その他 | |
標準時: | EET/EEST (UTC+2/3) |
標高: | 91 m |
郵便番号: | 301 00 |
市外局番: | 26410 |
自動車ナンバー: | ΑΙ |
公式サイト | |
www.agrinio.gr |
アグリニオ(ギリシア語: Αγρίνιο / Agrinio) または アグリニオン(カサレヴサ: Αγρίνιον / Agrinion)は、ギリシャ共和国西ギリシャ地方エトリア=アカルナニア県の都市で、その周辺地域を含む基礎自治体(ディモス)。県の中心都市で、市域には県全土の4分の1にあたる約10万人(都市としてのアグリニオには約5万人)が暮らしている。
ラテン語名はアグリニウム。
中世から1925年まではヴラチョリ(Βραχώρι)として知られていた。
街の歴史は古代にまでさかのぼる。古代の市街は現在の3km北東にあり、これまでに城壁や遺物が発見されている。
神話によると、アグリニオはアイトーロスの孫、ポルテウスの息子に当たるアグリオスが築いたが、紀元前314年にカッサンドロスの手に堕ちた。
オスマン帝国時代には住民の大多数をトルコ系が占めた。1585年にテオドロス・ミガスの乱が起こると街は廃墟と化した。18世紀初頭に現在のエトリア=アカルナニアの中心地となった。ギリシャ革命に参加し、1821年6月11日に一時的にオスマン帝国の支配から脱した。1832年7月9日にコンスタンティノープル条約 (en) によりギリシャ領となり、地名もアグリニオンに戻された。
希土戦争中、現在のトルコ西部から多くの人々がアグリニオに移ってきた。また、エピルスやエヴリタニアからハギオス・コンスタンティノスに移住する人々もいた。
1930年には道路が舗装され、給水塔も設備された。まだ古代の面影が残る街に電気も通った。クレマスタとカストラキの2箇所に建設された水力発電ダムから、経済発展の恩恵を享受した。
中心街の南東にあるトリコニス湖ではたびたび大地震が発生し、その都度アグリニオも被害を蒙ってきた。2007年6月7日には豪雨が街を襲い、数軒の家が浸水した。
19世紀の終わりから20世紀初頭にかけ、住民の大多数はパパストラトスやパパゴプルー、パパペトルーなどのタバコ企業のもとタバコ栽培を行っていた。現在はアグリニオ・オリーブの生産で知られる。
年度 | 町としての人口 | 自治体としての人口Treaty of Constantinople (1832) |
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1981年 | 35,773 | - |
1991年 | 39,638 | 52,081 |
2001年 | 42,390 | 54,523 |
国道5号や欧州ルート55号が通るほか、東のカルペニシやラミアとは国道38号や欧州ルート862号でつながっている。リオン=アンティリオン橋梁の北西、メソロンギの北、アスタコスの北東、レフカダやプレヴェサの東南東、アルタやイオアニナの南、カルペニシやラミアの西南西にそれぞれ位置する。
都市の紋章には、ヘラクレスが河の神アケローオスと闘うギリシャ神話の一シーンが描かれている。
第二部でプレイするパネトリコスFCが本拠地としている。