カンタベリー大聖堂(カンタベリーだいせいどう、英語: Canterbury Cathedral、公式名:Cathedral and Metropolitical Church of Christ at Canterbury)は、イギリスのイングランド南東部ケント州のカンタベリーにある大聖堂で、イングランド国教会およびそのカンタベリー管区の総本山で、カンタベリー教区の中心でもある。1988年に聖オーガスティン修道院、聖マーティン教会とともに、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
建築は初期イギリス式ゴシック様式(アーリー・イングリッシュとも。)の一例。
7世紀にローマ教皇の指示によりカンタベリーのアウグスティヌスがサクソン人の治めるケント王国に布教し、聖オーガスティン修道院を建設した。その後のノルマン人の征服によりノルマン朝を興したウィリアム1世は、アングロ・サクソン式の典礼や聖堂を嫌い、新たにロマネスク様式の大聖堂の建設を命じた。カンタベリー大聖堂はウィリアム1世の死後、1130年に献堂式が行われ完成した。
1170年に政教分離を巡ってヘンリー2世と対立したカンタベリー大司教トマス・ベケットが殉教し、聖人に列せられたことから、聖地として多くの巡礼者が訪れる場所となった。礼拝堂の床に1本のろうそくが立てられていて、その下にベケットは埋葬されている。ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』もカンタベリー巡礼者の物語である。
1174年、火事により聖堂の内陣が焼け落ち、フランス人建築家ギヨーム・ド・サンスの設計によって初期ゴシック様式に再建された。ギヨームは工事中に負傷し帰国したが、その後も工事は継続され、内陣の再建は12世紀に完了した。同時期にベケットと、のちにエドワード黒太子の墓所となるトリニティー礼拝室が作られた。
1379年から身廊と翼廊が垂直式ゴシック様式で改築され、1503年に「ベル・ハリー・タワー」と呼ばれる大塔が建設された。
大聖堂の寸法は、全長160m、幅47m、高さ72mである。
この大聖堂では、イングランド教会の英語礼拝だけでなく、フランスでの迫害からイギリス南西部へ逃れて、産業革命時代初期に紡績業の発展に貢献したと言われるユグノー教徒たちのフランス語礼拝もまだ行われている。
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カンタベリー大聖堂 | |||
英名 | Canterbury Cathedral, St. Augustine's Abbey, and St. Martin's Church | ||
仏名 | Cathédrale, abbaye Saint-Augustin et église Saint-Martin à Cantorbéry | ||
面積 | 18.17 ha | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1), (2), (6) | ||
登録年 | 1988年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
使用方法・表示 |
カンタベリー大聖堂は、カンタベリーに残る他の2つの重要なキリスト教建築物、すなわち聖オーガスティン修道院と聖マーティン教会とともに、ユネスコの世界遺産に登録されている。カンタベリー大聖堂の登録面積は 9.15 ha である。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
座標: 北緯51度16分47秒 東経1度04分59秒 / 北緯51.27972度 東経1.08306度