| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
スウェーデン代表でのルスティグ(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
カール・ミカエル・ルスティグ Carl Mikael Lustig | |||||
ラテン文字 | Mikael Lustig | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スウェーデン | |||||
生年月日 | 1986年12月13日(37歳) | |||||
出身地 | ウメオ | |||||
身長 | 191cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (RSB, CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
Sandåkerns SK | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2005 | ウメオFC | 32 | (1) | |||
2005-2008 | GIFスンツヴァル | 81 | (8) | |||
2008-2011 | ローゼンボリBK | 95 | (14) | |||
2012-2019 | セルティックFC | 276 | (21) | |||
2019-2020 | KAAヘント | 16 | (0) | |||
2020-2022 | AIKソルナ | 67 | (4) | |||
通算 | 451 | (40) | ||||
代表歴 | ||||||
2004 | スウェーデン U-18 | 1 | (0) | |||
2006-2009 | スウェーデン U-21 | 21 | (1) | |||
2008-2021 | スウェーデン | 94 | (6) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
カール・ミカエル・ルスティグ(Carl Mikael Lustig, 1986年12月13日 - )は、スウェーデン・ウメオ出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。
ユース時代は4部を戦う地元のSandåkerns SKで2年過ごし、2004年に3部のウメオFCへ移籍した。
2005年8月1日に1部のGIFスンツヴァルへ引き抜かれ、8試合2得点を記録。同シーズンにクラブは2部降格が決定したため、翌シーズンから2年を2部で過ごすことになり、その間にリーグ戦57試合, 公式戦を含め61試合に出場した。2008年に1部へ復帰すると、UEFA EURO 2008のためリーグが一旦中断するまでの間の全11試合全べてに出場し、レギュラーであり続けた。同年7月に同胞のエリック・ハムレーン監督率いるノルウェー1部の名門ローゼンボリBKと移籍金800万スウェーデン・クローナ、3年半の契約を締結し、この移籍はイングランド1部のフラムFCへ去ったフレドリック・ストールの後釜として見られている。
ローゼンボリでは、加入してすぐさま定位置を勝ち取り、翌年にはリーグ優勝のタイトルを獲得。3年目の2010年は、ニルス・アルネ・エッゲン監督の下でクラブはリーグ2連覇を達成。4年目では、ラデ・プリカ, ムシャガ・バケンガ, ジョン・チブイケ, ジム・ラルセン, モルテン・モルスクレットに次ぐクラブ内6位となる5得点を記録し、ヤン・ヨンソン監督体制下でも同様にレギュラーとして起用されていたが、クラブは3位でシーズンを終えた。
4シーズン在籍後の2011年11月にクラブを退団し、その際にスコティッシュ・プレミアリーグのセルティックFC, プレミアリーグのフラムFC, リーガ・エスパニョーラのRCDエスパニョールと欧州のクラブから関心を寄せられた。
2011年11月13日に、セルティックとの事前契約締結の発表がされ、2012年1月1日に正式に入団した。様々なクラブから興味を持たれていたものの、最終的にセルティックを選んだ理由は、同クラブのレジェンドにしてスウェーデン代表のレジェンドでもあるヘンリク・ラーションの言葉に心を動かされたからだったと語っている。3月3日のアバディーンFC戦 (1-1) で移籍後初出場 をし、9月1日のハイバーニアンFC戦(ホーム2-2)で移籍後初得点を挙げた。同試合で2得点目も挙げたかに思われたが、後にオウンゴールとして記録された。
2019年6月21日、KAAヘントへ完全移籍。
2020年8月25日、母国スウェーデンのAIKソルナにフリーで加入。2022シーズン終了後、現役引退を表明した。
ハンス・リンドボム監督率いるU-18代表を経て、2006年のシーズン中に行われたUEFA U-21欧州選手権2009予選でトミー・セデベリ監督率いるU-21代表デビュー。以降を定期的に招集され、2009年5月下旬にはセデベリ監督とヨルゲン・ランナルトソン監督の下、自国で開催されるU-21欧州選手権本大会のメンバーにも選出された。本大会でもレギュラーとして出場し、チームは準決勝に進出するもU-21イングランド (3-3) 相手にPK戦の末に敗れた。U-21では合計21試合に出場 し、副主将に任命されていた。
2008年1月にラーシュ・ラーゲルベック監督率いるA代表に初招集され、19日のアメリカ戦(0-2敗北)で初出場を記録。2011年3月29日にUEFA EURO 2012予選のモルドバ戦(2-1勝利)で初得点を記録。2012年10月16日に2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のドイツ戦で通算2得点目を記録。同試合は0-4と大差を付けられていたが、残り30分で4得点を返し引き分けに持ち込んでいる。
UEFA EURO 2020では、大会全4試合に出場したが、ベスト16でウクライナ代表に敗れた。同大会終了後、代表から引退することを発表した。