無限(むげん、infinity、∞)とは、限りの無いことである。
「限界を持たない」というだけの単純に理解できそうな概念である一方で、有限な世界しか知りえないと思われる人間にとって、無限というものが一体どういうことであるのかを厳密に理解することは非常に難しい問題を含んでいる。このことから、しばしば哲学、数学、論理学や自然科学などの一部の分野において考察の対象として無限という概念が取り上げられ、そして深い考察が得られている。
本項では、数学などの学問分野において、無限がどのように捉えられ、どのように扱われるのかを記述する。
紀元前400年から西暦200年頃にかけてのインド数学では、膨大な数の概念を扱っていたジャイナ教の学者たちが早くから無限に関心をもった。教典の一つである「スーリヤ・プラジュニャプティ」(Surya Prajnapti)では、すべての数は可算、不可算、無限の3種類に分類できるとしている。さらに無限には、1方向の無限、2方向の無限、平面の無限、あらゆる方向の無限、永遠に無限の5種類があるとした。これにより、ジャイナ教徒の数学者は現在でいうところの集合論や超限数の概念を研究した。
「ウロボロスが由来となっている。」や、「ジョン・ウォリスが無限大の記号として採用したのが最初である。」などの説が存在するが、「ローマ数字のↀ(CIƆ)が変化したものである。」という説が有力とされている。
ドイツの数学者ゲオルク・カントールは、無限には異なる種類があることを見出し、これを超限数と名付けた。現代数学では濃度の概念で捉えられる。
超限数は (アレフ)の記号を用いて表記され、最も濃度が小さいものは (アレフ・ヌル、またはアレフ・ゼロ)で表される。 の次に大きい濃度を持つ集合の濃度は で表され、以後同様に 等が定義される。一方、濃度 を持つ集合の冪集合の濃度は で表されるが、この濃度が常に より真に大きくなることがカントールにより証明されている。
自然数全体の集合 N の濃度は である。整数全体の集合 Z や有理数全体の集合 Q の濃度も であり、この無限を可算無限と呼ぶ。 の濃度を持つ集合としては実数全体の集合 R がある。
カントールは、 より濃度が大きく より濃度が小さい無限は存在しない、つまり、 が成り立つという仮説(連続体仮説)を立てたが、これを証明することはできなかった。連続体仮説は、現在では通常の数学の体系からは「証明も反証もできない」ことが証明されている。
ある集合が自身と対等な(すなわち同じ濃度を持つ)真部分集合が存在するとき、その集合はデデキント無限であるという。デデキント無限でない集合はデデキント有限であるという。デデキント無限集合は常に無限集合であるが、その逆を証明するには弱い形の選択公理が必要である。無限集合が、デデキント無限集合であるということと、可算無限部分集合を持つことは同値である。
記号 | Unicode | JIS X 0213 | 文字参照 | 名称 |
---|---|---|---|---|
∞ | U+221E |
1-1-71 |
∞ ∞ ∞ |
無限大 |