イエメン統一

この記事では、1990年5月22日イエメン民主人民共和国(南イエメンとも呼ばれる)の地域がイエメン・アラブ共和国(北イエメンとも呼ばれる)と統合し、イエメン共和国(イエメンと略記)が成立したことについて記述する。

経緯

1990年以前の北イエメン(オレンジ)と南イエメン(青)。

東ドイツ西ドイツ中華人民共和国中華民国北朝鮮韓国北ベトナム南ベトナムの場合と異なり、2つのイエメンは内戦や占領から形成されたものではない。北イエメンは、1918年11月にオスマン帝国が崩壊した後に独立した。南イエメンのアデンイギリス領インドの一部として統治され、1937年にイギリスの植民地になった。南イエメンのほとんどは、事実上の植民地支配下でイギリスの保護領となった。南イエメンの内戦は、イギリスが一旦この地域を統一した後、1967年に撤退したことで起きた2つのナショナリスト政党間の蜂起で、冷戦のいくつかの代理紛争の1つである。

関連項目

参考文献