マイク 眞木 | |
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『映画情報』1967年2月号より | |
基本情報 | |
出生名 | 眞木 壮一郎 |
生誕 |
1944年4月27日(80歳) 日本・東京都 |
学歴 |
青山学院中等部・高等部 日本大学芸術学部放送学科 |
ジャンル | フォークソング |
職業 | 歌手・俳優 |
活動期間 | 1966年 - |
レーベル | フィリップス・レコード |
マイク眞木(マイク まき、1944年4月27日 - )は、日本の俳優、フォーク歌手。本名は眞木 壮一郎(まき そういちろう)。真木と表記される場合もあるが、正確には眞木である。日本大学藝術学部放送学科卒業。東京都港区赤坂出身。身長170cm。
少年期から音楽に熱中しており、中学生の頃には地元のクラブに演奏に来ていたザ・ドリフターズのファンであったことを後年、『ドリフ大爆笑』(144回、1992年)の「雷様コント」にゲスト出演した際に語っている。
また、舞台美術家の父の影響もあり、幼い頃から模型作りが好きで、部屋中には模型やプラモデルだらけだった。高校3年生の頃には自宅近所のTBSの美術部で特撮のアルバイトをしていた事もある。
1963年(昭和38年)、モダン・フォーク・カルテットを結成。
1966年(昭和41年)、ソロデビュー曲「バラが咲いた」が30万枚以上を売り上げる大ヒット。同曲は、レコード原盤をレコード会社(ビクター)が音楽出版社(新興楽譜出版・現シンコー・ミュージック)に依頼して制作した日本初の楽曲である。
1967年(昭和42年)、ザ・ブロードサイド・フォーのメンバーらと共にGSバンドのザ・マイクスを結成。シングル2枚をリリース。
1971年(昭和46年)10月から1972年(昭和47年)3月まで、NHK総合テレビの音楽番組『ステージ101』の司会者を当時の妻・前田美波里とともに担当した[注釈 1]。番組オリジナルソングとして作詞・作曲して披露した「のんびり」[注釈 2]が、1971年のモービル石油のCMソングに採用されて「気楽に行こう」としてヒットした。またボーイスカウトの歌集には彼の作詞・作曲による「キャンプだホイ」が収録されている。
2013年(平成25年)、小学校1年生から6年生までの同級生で作詞家の髙田戸雷から大量の歌詞が送られてきたことがきっかけで、かつての同級生に向けたアルバム「OLD SCHOOL」を発売。自身も作詞と全作曲を担当した。
車好きとして知られている。かつて「モーター新党」から比例区候補として第16回参議院議員通常選挙に立候補したことがある。本籍地が茨城県水戸市である縁で、水戸大使も務めている。
父は日本の舞台美術家・衣裳デザイナーの真木小太郎。女優の前田美波里は最初の妻である。俳優の真木蔵人は前田との間に授かった実子。
2度目の結婚・離婚(前田美波里、一般女性)を経た最終的な家族構成は、元歌手の妻・和田加奈子(一度真木と離婚したが再々婚)、長男・真木蔵人、次男・真木勇人(プロサーファー)、三男・真木泰人(プロサーファー)、四男、長女。初孫のNOAH(蔵人の長男)を初めとする6人の孫がいる。NOAHは2010年にヒップホップの2人組ユニットEWUとしてデビューしている。離婚のインタビューでは「気がついたらいなかった」と語っている。
2002年(平成14年)にも子供が生まれているが、高齢であることから親子というよりはむしろ祖父と孫に見られることも多いと「ごきげんよう」などのトーク番組などで何度か語っている。また本人によると自身の長女は長男である蔵人の長女と同じ年齢で同じ幼稚園に通っていた」との事である。
先祖の真木景信は水戸藩に家禄三千石で仕え、その妻は藩主である徳川頼房の十女で徳川光圀の妹にあたる千姫であることがテレビ番組『私の何がイケないの?』での検証で明らかになった。
『救急戦隊ゴーゴーファイブ』では、兄弟戦隊の父である巽モンド博士を演じ、共演者らは番組が終わってからも実の父親のように慕っていることを述べている。第1話・第2話の撮影時点では共演者らと会話をせず怖がられていたが、アフレコ後に10年間会っていないという設定であったから喋らなかったことを明かしたという。
同作品第41話では、実子の蔵人と共演しており、共演者の西岡竜一朗は、真木親子は互いに尊重しあっており、熱くて真剣な同じ血が流れているのを感じたと評している。
発売日 | 面 | タイトル | 規格 | 規格品番 |
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フィリップスレコード | ||||
1966年4月5日 | A | バラが咲いた | EP | SFL-1050 |
B | 歌おうよ叫ぼうよ | |||
1966年 | A | 波と木彫りのクマ | EP | SFL-1051 |
B | ベトナムの空 | |||
1966年9月1日 | A | カラスと柿のタネ | EP | FS-1002 |
B | 下谷としぶや | |||
1966年9月15日 | A | 風に歌おう | EP | FS-1004 |
B | うわさ | |||
1967年 | A | 俺の心の海 | EP | FS-1011 |
B | お早う僕の町 | |||
1967年6月1日 | A | 歌いながら | EP | FS-1015 |
B | えんぴつが一本 | |||
1967年10月25日 | A | 野ばらの小径[注釈 3] | EP | FS-1024 |
B | ランブリン・マン[注釈 3] | |||
1967年12月10日 | A | 星空のマサチューセッツ[注釈 3] | EP | FS-1031 |
B | 夢の牧場[注釈 3] | |||
1970年 | A | 水色の空と赤いバラ[注釈 4] | EP | FS-1122 |
B | 男がよくわかる[注釈 4] | |||
1970年11月 | A | 空には名前がない[注釈 5] | EP | FS-1175 |
B | 赤い花 | |||
1971年4月25日 | A | たった一度の人生 | EP | FS-1195 |
B | 気楽に行こう[注釈 6] | |||
1971年 | A | 町をはなれて[注釈 5] | EP | FS-1227 |
B | 僕たちの国は地球[注釈 5] | |||
1971年 | A | 妖精の詩[注釈 5] | EP | FS-1236 |
B | フォーリン・ダウン[注釈 5] | |||
1972年 | A | うしろすがた | EP | FS-1713 |
B | ヤッコ凧 | |||
1975年11月20日 | A | 放浪記 | EP | LTP-20192 |
B | 昔なじみ | |||
A | バラが咲いた[注釈 5] | EP | FX-1006 | |
B | 白い色は恋人の色[注釈 5] | |||
CBS・ソニー | ||||
1979年 | A | 飛行船がやってきた[注釈 7] | EP | 05SG12 |
B | おべんとうばこのうた[注釈 7] | |||
ビクターレコード | ||||
1980年 | A | へんてこスキーヤー | EP | KV-2017 |
B | へんてこスキーヤー(カラオケ) | |||
日本コロムビア | ||||
A | 南の島はパラダイス[注釈 7] | EP | SCS-597 | |
B | ぼくは強い子なのだ[注釈 7] | |||
PANAM | ||||
1999年 | A | 5人(みんな)[注釈 8] | EP | |
B | ||||
PANAM | ||||
2006年9月6日 | 1 | ありがとう〜こころのバラ〜[注釈 9] | 8cmCD | CRCP-558 |
2 | おべんとうばこのうた | |||
ポニーキャニオン | ||||
2008年9月17日 | 1 | のんびり行こう[注釈 10] | CD | PCCA-70228 |
2 | Nonbiri Let It Roll | |||
3 | のんびり行こう(カラオケ) | |||
1 | ほんとの話[注釈 11] | CD |
発売日 | アルバム | 規格 | 規格品番 |
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フィリップスレコード | |||
1966年 | マイク真木フォークアルバム | LP | SFL-7290 |
1998年9月23日 | CD | TECN-18409 | |
風に歌おう マイク真木フォークアルバム No.2 | LP | FX-7001 | |
1967年 | 赤い貝がら | LP | SFL-3139 |
1970年 | マイクと美波里のアメリカ紀行 | LP | FS-8097 |
1971年 | エトセトラ | LP | FX-8028 |
東芝EMI | |||
1974年 | BORO BORO GAKU GAKU(ボロボロ楽学) | LP | LTP-9111 |
ビクター | |||
1978年4月 | 星がほしい | LP | SJX-20053 |
ポリドールレコード | |||
1978年 | MR 3103 | LP | MR 3103 |
ファンハウス | |||
1997年 | KO MO MAI PARTY | CD | |
FFA | |||
2000年 | 今でも STILL | CD | |
Tuff Beats | |||
2008年7月9日 | ハワイ唄 | CD | UBCA-1014 |
キャピタルヴィレッジ | |||
2013年1月30日 | OLD SCHOOL | CD | CVOV-10015 |