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2018年のレーヴ | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | Jogi(ヨギ) | |||||
ラテン文字 | Joachim Löw | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1960年2月3日(64歳) | |||||
出身地 | 西ドイツ・シェーナウ・イム・シュヴァルツヴァルト | |||||
身長 | 181cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1978-1980 | SCフライブルク | 71 | (18) | |||
1980-1981 | VfBシュトゥットガルト | 4 | (0) | |||
1981-1982 | アイントラハト・フランクフルト | 24 | (5) | |||
1982-1984 | SCフライブルク | 65 | (25) | |||
1984-1985 | カールスルーエSC | 24 | (2) | |||
1985-1989 | SCフライブルク | 116 | (38) | |||
1989-1992 | FCシャフハウゼン | |||||
1992-1994 | FCヴィンタートゥール | |||||
1994-1995 | FCフラウエンフェルト | |||||
代表歴 | ||||||
1979-1980 | 西ドイツ U-21 | 4 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1994-1995 | FCフラウエンフェルト(選手兼任) | |||||
1995-1996 | VfBシュトゥットガルト(コーチ) | |||||
1996-1998 | VfBシュトゥットガルト | |||||
1998-1999 | フェネルバフチェ | |||||
1999-2000 | カールスルーエSC | |||||
2001 | アダナスポル | |||||
2001-2002 | FCチロル・インスブルック | |||||
2003-2004 | FKアウストリア・ウィーン | |||||
2004-2006 | ドイツ代表(コーチ) | |||||
2006-2021 | ドイツ代表 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ヨアヒム・レーヴ(Joachim „Jogi“ Löw、1960年2月3日 - )は、西ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州シェーナウ・イム・シュヴァルツヴァルト出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。
ニックネームは「Jogi(ヨギ)」。なお項目名は日本のマスコミが使用する表記であり[要出典]、ドイツ語規範発音をカタカナ転写すれば「レーフ」となる。
現役時代のポジションはFW。
SCフライブルクでプロサッカー選手となった後、VfBシュトゥットガルトなどのドイツのクラブに移籍し、1989年にスイスのFCシャフハウゼンに移籍。1995年、スイスのFCフラウエンフェルトで引退する。U-21ドイツ代表の経験もある。SCフライブルクではチーム得点王にもなっている。
35歳で現役を引退後、ドイツ・ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトのヘッドコーチに、翌年には監督に就任。就任した1996-97シーズンでクラシミール・バラコフやジオバネ・エウベル・ジ・ソウザ、フレディ・ボビッチ等で攻撃的なチームを作り、リーグ4位とDFBカップで優勝する。翌1997-98シーズンにもリーグ4位、そしてUEFAカップウィナーズ・カップで準優勝するが、当時のマイヤー・フォアフェルダー会長が「クラブの監督にはビッグネームを欲しい」とメディアを通して公言、VfBシュトゥットガルトを解任された。
1998-99シーズンにはトルコリーグのフェネルバフチェに、1999-00シーズンは当時ブンデスリーガ2部だったカールスルーエSCの監督に就任するが、カールスルーエではクラブで初めて3部に降格する。2001年、トルコのアダナスポルの監督となる。
2001-02シーズンで、オーストリア・ブンデスリーガのFCチロル・インスブルック(現FCヴァッカー・インスブルック)の監督に就任し、優勝する。2003-2004シーズンでは同じオーストリア・ブンデスリーガのFKアウストリア・ウィーンで1年間指揮を取り、2004年遂に母国ドイツ代表のヘッドコーチに就任する。
ヘッドコーチ就任後は、当時のユルゲン・クリンスマン監督の片腕として主にチーム戦術の決定及び戦術トレーニングを担当した。2006 FIFAワールドカップドイツ大会終了後のクリンスマン辞任に伴い、監督に就任した。
監督就任後は、UEFA EURO 2008では準優勝、2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会では2大会連続で3位となり、優勝こそしていないものの高い成績を残していた。ポーランド・ウクライナ共催のUEFA EURO 2012のグループリーグではポルトガル、オランダ、デンマークとの「死の組」を全勝で首位通過するも、準決勝でマリオ・バロテッリの2発に沈みイタリアに敗戦、3位となった。2014 FIFAワールドカップブラジル大会では優勝。南米開催のW杯で、欧州勢として初優勝となる。
2015年3月13日、ドイツ代表との契約を2018年まで延長したことを発表した。2016年10月31日にUEFA EURO 2020まで契約を延長し、2018年5月15日に2022 FIFAワールドカップカタール大会まで更に契約を延長した。直後の6月より開催された2018 FIFAワールドカップロシア大会では、グループリーグFでメキシコと韓国に敗れてグループ最下位で敗退した。
2021年3月9日、UEFA EURO 2020終了後にドイツ代表監督を退任すると発表。本大会のグループリーグFではフランス、ポルトガルの同組となり、更にハンガリーの大善戦にも苦しめられることになる。2位でグループリーグは突破するも、決勝トーナメント1回戦でイングランドに0-2で敗れ、不本意な形で15年に渡る長期政権に幕を閉じた。2022年10月には古巣のVfBシュトゥットガルトよりアドバイザー就任の要請を受けたものの、監督業にこだわるため辞退していたことが報じられた。