中華民国 山西省 | |
← 1912年 - 1949年 → | |
山西省の位置 | |
簡体字 | 山西 |
繁体字 | 山西 |
---|---|
拼音 | Shānxī |
カタカナ転記 | シャンシー |
国家 | 中華民国 |
行政級別 | 省 |
政府所在地 | 陽曲県1912-1947 太原市1947-1949 |
成立 | 1912年 |
消滅 | 1949年 |
面積 | |
- 総面積 | 156,419 km² |
人口 |
管轄区域は現在の中華人民共和国山西省にほぼ相当するが、黄河以北は現在の内モンゴル自治区、高陽県南東部が現在の河南省の行政区画となっている。
東は河北省、西は陝西省、南は河南省、北は綏寧省と接していた。
1911年(宣統3年)10月10日、武昌起義により辛亥革命が勃発すると10月29日、太原新軍は決起、太原軍政府を組織した。また12月31日には運城で河東軍政府が成立したが翌年4月4日、1912年(民国元年)1月には大同軍政府が成立したが、同月15日にそれぞれ崩壊している。
1927年(民国16年)6月、晋綏陸軍総司令であった閻錫山は国民革命軍を組織、既存の山西省長公署を解体し山西省政府を組織した。1949年(民国38年)4月24日、中国共産党・人民解放軍により太原が「解放」され、中華民国(中国国民党政府)はその実効支配を喪失した。
1947年(民国36年)5月以前は陽曲県に、それ以降は太原市に設置された。
民初は清代の道が廃止されたが、1913年(民国2年)3月に中路道、北路道、河東道、帰綏道観察使が設置された。1914年(民国3年)5月、全省に冀寧道、雁門道、河東道の3道が設置された。1927年(民国16年)に道制は廃止された。
中華人民共和国成立直前の管轄行政区画は下記の1市105県。(50音順)
この節の加筆が望まれています。 |
前の行政区画 山西省 |
山西省の歴史的地名 1912年 - 1949年 |
次の行政区画 山西省 |