この記事には
複数の問題があります 。
改善 や
ノートページ での議論にご協力ください。
改革派教会 (かいかくはきょうかい、ドイツ語 : Reformierte Kirche 、英語 : Reformed churches )は、キリスト教 プロテスタント 教派 のうち、フルドリッヒ・ツヴィングリ を指導者としてスイス のチューリッヒ に始まり、ジュネーヴ のフランス人 ジャン・カルヴァン を中心とした世代に体系づけられたスイス宗教改革 の神学と、それに基づく段階的な会議制を特徴とした教会組織を、自覚的に、しかし時には批判的に受け継ぐ教派の総称であり、かつ各個教会の呼称である。
名称
カルヴァン主義 の教会政治と教理 を採用する教会として「カルヴァン派」という通り名が用いられることがあるが、現在の神学と組織の多様性を考えて、総称としては一般的に「改革派教会」という用語が用いられることが多い。一教派として「改革派教会」という場合と区別し、以下に述べる神学的な意味を強調して「改革教会」という日本語を用いることもある。すなわち、「改革(派)教会」とは元来、神の言(ことば)によって改革された(完了形としてのreformed, reformierte)教会という意味であり、後の理解によれば同時に、神の言によって「常に改革される教会」Ecclesia reformata semper reformanda (ラテン語)であるという意味である。後者の自覚は、伝統を受け継ぎながらも時に適って更新される公的な信仰告白の、歴史的世界的な多様性の事実に現れている。これが、一冊のアウクスブルク信仰告白 を共通して持つルター派教会 やその他の諸教会との区別であると説明されることもある。
歴史
この節は検証可能 な参考文献や出典 が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加 して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方 ) 出典検索? : "改革派教会" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2017年2月 )
プロテスタント 諸教派の系統概略
16世紀、ドイツ ・ヴィッテンベルクにおけるマルティン・ルターの宗教改革と同時期に、スイスで最初に教会改革運動に着手した都市は、フルドリッヒ・ツヴィングリの指導したチューリヒであった。結局、ルターとツヴィングリは聖餐式に関して神学的な一致点を見いだせなかったが、それが、対ローマの同じ福音主義に立ちながらも分かたれたルター派と改革派との後の区別に繋がることになる。
宗教改革第二世代の神学者たち、特にジュネーヴの指導者ジャン・カルヴァンは、信仰告白の一致を目指して尽力したが、晩年にはルターの一派との不一致を決定的なものと自覚するに至っている。しかし、一方でカルヴァンは、ツヴィングリ戦死後の後継者ハインリッヒ・ブリンガーとの神学・信仰告白上の一致に成功し、そこでジュネーヴとチューリッヒが歩みよることとなった。これが、限定された意味では、スイスの改革派教会の起こりであるとも言える。
また、ジュネーヴやチューリッヒをはじめとした改革派諸都市が、それまで以上に亡命者や留学生の集まる国際的な中継地点となっていく経緯(たとえば、カルヴァンもそういった亡命者の一人であった)にも関係があるが、改革派教会には、もともと、亡命者の教会という特徴があった。たとえば、既にカルヴァンの時代に、ジュネーヴの教会がイタリア のピエモンテ谷で迫害に耐えていたヴァルド派 の人々と公的に結び付いていたことは象徴的なことである。北アメリカ 地帯も亡命者が多く最終的に寄り集った地帯である。
その後フランス のユグノー 、イギリス のピューリタン 、オランダ のゴイセン など、ルーツ毎に様々な名称で呼ばれた宗教的亡命者は、広い地域に届けられた改革者たちの手紙同様、西欧 を中心として、しかし欧州に留まらず、広い範囲にカルヴァンたちの神学を持ち運ぶことになった。イングランド からそのような人々が新大陸に渡ったとき、新天地で最初に出版された書物がジュネーヴ詩篇歌だったことは、後にこの歌が忘れられてしまう時代があることが事実だとしても、アメリカの改革・長老派教会の伝統を考えるうえで意義深いことといえよう [要追加記述 ] 。
なお、狭い意味で、スイスを中心とした大陸の改革教会を「改革派」と呼ぶとすれば、ジュネーヴ・アカデミーで学んだジョン・ノックス が基を築いたスコットランド国教会の系統は「長老派」と呼ばれる。後者は段階的な会議制を(かつて言われてきたように発明はしなかったかもしれないが)「長老制 」として発展させたために、大陸の改革派と区別されることがあるのである。
他の諸国と同様に日本にもプロテスタント教会の宣教師たちが足を踏み入れた19世紀末、その中心を担ったアメリカ人には、改革教会の系統を組むものたちがいた。たとえば、日本最初のプロテスタント教会、日本基督公会・横浜公会(現日本キリスト教会 横浜海岸教会 )の設立時の指導者は、オランダ系米国改革派教会の宣教師ジェームス・バラ である。
教理
改革派の教理は複数の信仰告白 において表明されている。おもな信仰告白は多くの教派によって採用されている。なお歴史的経緯によって、地域教会ごとに異なる信仰告白が使われている。(年代順)
(「改革派信仰告白集」一麦出版社、2011~による信仰告白一覧より)
ツヴィングリ「六十七箇条提題」 ‐ 1523年
チューリヒの「キリスト教入門」 ‐ 1523年
ベルン提題 ‐ 1528年
東フリースラント説教者の信仰告白 ‐ 1528年
ツヴィングリ「信仰の弁明」 ‐ 1530年
四都市信仰告白 ‐ 1530年
ベルン教会会議(教理箇条) ‐ 1532年
バーゼル信仰告白 ‐ 1534年
第一スイス信仰告白 ‐ 1536年
ローザンヌ提題 ‐ 1536年
ジュネーヴ教会信仰の告白 ‐ 1536/37年
ジュネーヴ教会教理問答 ‐ 1542年
チューリヒ信仰告白 ‐ 1545年
チューリヒ協定 ‐ 1549年
グラウブュンデン信仰告白 ‐ 1552年
フランクフルト外国人教会信仰告白 ‐ 1554年
エムデン教理問答 ‐ 1554年
フランス信仰告白 ‐ 1559年
スコットランド信仰告白 ‐ 1560年
ベルギー信仰告白 ‐ 1561年
エゲル谷市民の信仰告白(エアラウタール信仰告白) ‐ 1562年
ハンガリー信仰告白 ‐ 1562年
英国教会の信仰箇条 ‐ 1563年
ハイデルベルク教理問答 ‐ 1563年
ネーデルランド信仰告白 ‐ 1566年
第二スイス信仰告白 ‐ 1566年
デブレツェン会議信仰告白 ‐ 1567年
ナッサウ信仰告白 ‐ 1578年
第二スコットランド信仰告白 ‐ 1581年
ブレーメン協定 ‐ 1595年
ランベス条項 ‐ 1595年
シュタッフォート信仰告白書 ‐ 1599年
相違点(会衆派) ‐ 1603年
カッセル教会会議信仰告白 ‐ 1607年
ヘッセン教理問答 ‐ 1607年
ボヘミア兄弟団信仰告白 ‐ 1609年
アルミニウス主義条項(建白の五箇条) ‐ 1610年
ベントハイム信仰告白 ‐ 1613年
ジーギスムントの信仰告白 ‐ 1614年
アイルランド宗教条項 ‐ 1615年
ドルトレヒト信仰規準 ‐ 1619年
ウェストミンスター信仰告白 ‐ 1647年
ウェストミンスター大教理問答 ‐ 1647年
ウェストミンスター小教理問答 ‐ 1647年
ピエモンテ・ヴァルド派の簡潔な信仰告白 ‐ 1655年
サヴォイ宣言 ‐ 1658年
英国教会教理問答 ‐ 1549年/1662年
スイス改革派教会一致定式 ‐ 1675年
バプテスト信仰告白(フィラデルフィア信仰告白) ‐ 1742年
プファルツ連合の教理条項 ‐ 1818年
カルヴァン主義的メソジスト信仰告白 ‐ 1823年
イングランド・ウェールズ会衆派連合、信仰・教会職制・規律に関する宣言 ‐ 1833年
ニューハンプシャー信仰告白 ‐ 1833年
オーバーン宣言 ‐ 1837年
ジュネーヴ福音教会信仰告白 ‐ 1848年
合衆国会衆派諸教会全国会議信仰宣言 ‐ 1865年
イタリア福音教会信仰告白 ‐ 1870年
合衆国会衆派教会オーバーン宣言 ‐ 1871年
フランス改革派教会大会信仰宣言 ‐ 1872年
日本基督公会条例 ‐ 1874年
日本国キリスト一致教会政治規則(前文) ‐ 1877年
カンバーランド長老教会信仰告白 ‐ 1883年
合衆国会衆派教会教理宣言 ‐ 1883年
イングランド長老教会信仰箇条 ‐ 1890年
日本基督教会信仰の告白 ‐ 1890年
日本組合(基督)教会信仰の告白 ‐ 1892年
アメリカ合衆国長老教会改革派信仰の簡潔な表明 ‐ 1902年
アメリカ合衆国長老教会宣言的声明 ‐ 1903年
合衆国会衆派教会信仰宣言 ‐ 1913年
北アメリカ合同長老教会信仰声明 ‐ 1925年
教会の形態に関する神学的宣言 ‐ 1933年
現代のドイツ福音主義教会における宗教改革者的信仰告白の正しい理解に関する宣言 ‐ 1934年
ドイツ福音主義教会の現代の状況に対する神学的宣言(バルメン神学宣言) ‐ 1934年
日本基督教団教義ノ大要 ‐ 1941年
福音主義自由教会同盟信仰告白 ‐ 1944年
日本基督改革派教会信仰規準ノ前文 ‐ 1946年
南インド教会 合同の基礎 ‐ 1929年/1947年
日本基督教会信仰の告白 ‐ 1953年
日本基督教団信仰告白 ‐ 1954年
イングランド長老教会キリスト教信仰の宣言 ‐ 1956年
マダガスカル・イエス・キリスト教会信仰声明 ‐ 1958年
合同キリスト教会信仰声明(アメリカ) ‐ 1959年
アメリカ合衆国合同長老教会信仰告白 ‐ 1967年
イングランド・ウェールズ会衆派教会信仰宣言 ‐ 1967年
第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白 ‐ 1967年
台湾長老教会国是声明 ‐ 1971年
韓国基督教長老教会の新しい信仰告白 ‐ 1972年
アメリカ改革派教会わたしたちの希望の歌 ‐ 1974年
われわれの呼びかけ ‐ 1975年
合衆国長老教会信仰宣言 ‐ 1976年
キューバ長老・改革派教会信仰告白 ‐ 1977年
台湾基督長老教会人権宣言 ‐ 1977年
ベルギー合同プロテスタント教会信仰宣言 ‐ 1978年
オランダ改革派教会神学宣言 ‐ 1979年
インドネシア・カロー・バタク教会基本的信仰告白 ‐ 1979年
カナダ合同教会信仰告白 ‐ 1968年/1980年
南アフリカ教会のための信仰宣言(改訂版) ‐ 1981年
インドネシア・トラジャ教会信仰告白 ‐ 1981年
イギリス合同改革派教会の本質・信仰・職制に関する声明 ‐ 1981年
南アフリカ・オランダ改革派伝道教会信仰告白(ベルハー信仰告白) ‐ 1982年
南アフリカ黒人改革派キリスト者連盟神学声明 ‐ 1983年
インドネシアにおけるキリスト教信仰の共通理解の宣言(インドネシア教会共同体) ‐ 1984年
カナダ長老教会活ける信仰・キリスト教信仰宣言 ‐ 1984年
カンバーランド長老教会・第二カンバーランド長老教会信仰告白 ‐ 1984年
韓国・長老会神学大学神学声明 ‐ 1985年
台湾基督長老教会信仰告白 ‐ 1985年
大韓イエス教長老会信仰告白 ‐ 1986年
アメリカ合衆国長老教会信仰についての短い声明 ‐ 1991年
スコットランド教会キリスト教信仰の声明 ‐ 1992年
教会政治
教会の運営・活動方針を決める会議は、大きく分けて3つある。各教会で行われる小会、一定地域内の教会代表が集まって話し合う中会、そして全国の教会代表が集まる最も大規模な大会。改革派教会の教会政治 は中会を重視するため、中会主義とも呼ばれる。
イングランド国教会 、ルター派教会 、メソジスト教会 の監督制 と対比すると、改革派教会は二つの特徴を持っている。
改革派の信仰を受け入れるバプテスト教会 (パティキュラー・バプテスト 教会)は、礼典 と教会政治をバプテストの立場から修正している。
礼拝と礼典
聖書に規定されていない方法で、神を礼拝することは認められない 。偶像崇拝 は禁じられており、死者に対する祈りはしてはならない 。
改革派教会では幼児洗礼 を認めているが、洗礼 による新生 を退ける 。その後、本人が成長し、自覚的な信仰告白 を行うことも大切である。成人が洗礼を受ける場合、聖書などの基本的な勉強を一定期間、牧師に教わる。その後、査問会で何名かの牧師や教会員が、本人の適性を審査する。査問会ののち、礼拝などで公に信仰告白を行い、牧師 から洗礼を受ける。
聖餐式 は月に一度というように、定期的に行われる。聖餐は、洗礼を受け信仰告白した者だけが受けられる。教派の違うクリスチャンであっても、改革派教会では聖餐を受けることができる。
各国の改革派教会
連合王国における改革派教会
連合王国における改革派運動の指導者であったのは、マーティン・ロイドジョンズ である。彼は「神のご計画の全体」と呼ばれる使徒の真理、教理を示し、ピューリタン 、ジョージ・ホウィットフィールド 、ジョナサン・エドワーズ [要曖昧さ回避 ] 、チャールズ・スポルジョン が福音派 に紹介されるようになった。
フランスにおける改革派教会
カトリック教会 によって組織的には壊滅させられたが、1844年 に至って法的に認められた。
日本における改革派教会
脚注
参考文献
関連項目