民謡(みんよう、独: Volkslied、英: folk song)とは、主に民衆の生活のなかで生まれ、口承によってうたい継がれてきた歌の総称。
不特定多数の民衆によって自由に伝承されているうちに自然と形になった歌である。特定の地域集団や職業集団に固有の歌謡という捉え方が一般的だが、数世代に渡って体験的に継承されたものに限り、芸能を専門とする者が修正を加えたものは除外するという立場もある。
民謡という概念はドイツで誕生した。1773年にドイツの思想家ヘルダーによってVolksliedという用語が提唱された。これは「Volks(=民衆の)」+ 「Lied(=歌)」という合成語であった。それ以前は地域や時代により様々に呼ばれていたものを、Volksliedと総称したのである。
広義には、作者が分かっている民謡調の俗謡・新民謡なども含み、特定の国や地域や民族における、民俗音楽の重要な要素であるが、その見地からの総合的記述は音楽民族学の項に譲る。
日本語の「民謡」は明治時代(1868年 -1912年)の半ば、民俗学など学問的な必要から、ドイツ語のVolksliedという用語(もしくはそれを英語に訳した「folk song」)の訳語として創出された(「民謡」なる語を使い始めたのは森鴎外や上田敏だという)。日本でもやはりそれまでは地域や時代により様々に呼ばれていたわけだが、里謡、俚謡(りよう)などとも呼ばれていた。
など
民謡 Minyou | |
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様式的起源 | |
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関連項目 | |
日本の民謡と言うと、狭義には日本各地での口承歌のことをいう。日本の民謡は、口承で伝えられてきた歌唱曲の総称で、大部分は歌のみで楽器は加わらない。
民謡の中には、民衆の生活に根ざした労働歌、祭祀・年中行事の歌などが含まれるが、子供向けの
日本の民謡は日本語の発声や韻と深く結びついている。音階に関しては、陽旋法(長調)のものは、ヨナ抜き音階である。リズムや音の数に関しては、(労働歌や酒席での即興から生まれたものが多いため)字余りや変拍子などの複雑で不自然なリズムや音数のものも少なくない。
1987年(昭和62年)の調査では現存する民謡は、およそ58,000曲である。
口伝で伝えられたそれらの曲の歌詞は、労働時のつらい気持ちを払拭するための愚痴や、酒席での性についての内容のものが多かったと言われる。近年の曲では「炭坑節」がそのいい例で、女工らの性に関する表現が含まれており、この曲を地域の伝統文化として子供たちに歌わせることの是非問題に発展することもある。そのため現在歌われている民謡の多くは、明治維新以後に地方自治体や文化団体が歌詞を公募し、低俗な歌詞を差し替えて、地元の伝統文化として再構築されたものが多いという。
なお、現在では冷静な学問としては、欧米などの学者の世界では、琉球民謡やアイヌ音楽も、"広義の日本の民謡"の枠の中に入れて扱うということになる。(ただし、日本の一部の民族主義的な人は、感情的になって、それらを「日本の民謡」の枠の外のものと見なそうとすることもある。だが、現在では学問的に言えば、琉球人も紛れもなく日本人の一部なので、琉球民謡も日本民謡の一部なのである。)
広義では、広く人口に知れ渡った歌という意味で、流行歌の一部も含むことがある。
特に明治時代後期から大正時代にかけて北原白秋らによって新たに創作された民謡風の曲は、それまでの伝統的な民謡と区別して「新民謡」、もしくは「創作民謡」と呼ばれる。また大正時代から昭和初期にかけて中山晋平、藤井清水、野口雨情、西條八十らによって創作された、主に地域の宣伝のための新民謡は、特に「地方小唄」と呼ぶ場合がある。
武田俊輔『民謡の再編成』によれば、「民謡」は大正から昭和初期の野口、中山、レコード会社、文部省、民俗学、NHKによる運動の発明品ともいうべき存在で、全国各地の郷土色豊かな旋律を「民謡」の名のもとに再編成・固定化し、全国に流通すべく産業化したものとも言え、例えば安来節のようにその枠からはみ出た流行[注 1] に、「正調」「保存会」が後から出て来るといった事例[注 2] がある事でその見方は一定の力を持っている。かつて労働などの日常のやりとりのなかで歌が歌われる際には、文句や節回しは人により、時と場合により違っていたのである。