阪神タイガース #21 | |
---|---|
2022年5月21日 くら寿司スタジアム堺 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 香川県丸亀市 |
生年月日 | 1991年4月26日(33歳) |
身長 体重 |
188 cm 102 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト4位 |
初出場 | 2010年8月21日 |
年俸 | 4400万円(2024年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
派遣歴 | |
| |
この表について
|
秋山 拓巳(あきやま たくみ、1991年4月26日 - )は、香川県丸亀市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。阪神タイガース所属。
父親としたキャッチボールがきっかけで3歳から野球を始める。小学校入学と同時に「今津スポーツ少年団」に所属。小学3年生の5月に父親の仕事の都合で愛媛県西条市に転居、「西条リトルリーグ」に所属し全国大会への出場も果たす。その後、西条南中時代には「西条リトルシニア」に所属、3年時にシニア日本代表として世界大会に出場した。
西条高校に進学すると、1年生秋から4番を打ち、2年生春からエースとなる。2年生秋の秋季四国大会では自身の投打にわたる活躍で優勝し、翌春の第81回選抜大会に出場。この時は初戦で敗退したが、夏の愛媛県大会を制して[注 1]出場した第91回選手権大会では初戦突破を果たした。高校通算48本塁打を記録したほどの強打者で、「伊予ゴジラ」とも呼ばれており、近日中に西条と対戦する予定がある高校では練習において「秋山対策」をしていた程だった。
2009年のプロ野球ドラフト会議で、阪神タイガースから4巡目で指名。契約金4000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は27。
2010年、8月21日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で先発投手として一軍デビュー。阪神の高卒新人投手による先発での一軍初登板は2000年の岡本浩二以来で、巨人戦では球団史上初めてであったが、6回4失点という内容で敗戦投手になった。しかし、次に先発で登板した8月28日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、5回を1失点で凌いで一軍公式戦初勝利を挙げた。阪神の高卒新人投手が一軍公式戦で勝利投手になった事例は、1986年の遠山昭治以来24年ぶりだった。9月12日の対ヤクルト戦(阪神甲子園球場)では、村中恭兵から7回裏に左前適時打を記録するなど投打に活躍し、阪神の高卒新人投手としては遠山以来の無四球完封勝利を挙げた。セントラル・リーグの高卒新人投手による完封勝利は1989年の川崎憲次郎以来21年ぶりで、無四球完封勝利は1988年の野村弘樹以来22年ぶり7人目の快挙だった。一軍公式戦には、全7試合に先発登板し、4勝3敗、防御率3.35という成績でシーズンを終えた。一軍公式戦で2勝以上を記録した阪神の高卒新人投手は遠山以来3人目で、右腕投手としては初めてであった。
2011年、育成を優先する首脳陣の方針に加えて、首を故障した影響で、シーズンの大半を二軍で過ごした。9月に一軍へ昇格すると、9月28日と10月4日の対ヤクルト戦に先発で登板したが、通算で0勝1敗に終わった。シーズン終了後の11月には、チームメイトの甲斐雄平・荒木郁也と共に、オーストラリアン・ベースボールリーグのキャンベラ・キャバルリーへ派遣。先発投手としてリーグ戦4試合に登板すると、通算22イニングで13被安打、10与四球、16奪三振、3自責点、WHIP1.05を記録するとともに、1勝0敗、防御率1.23という成績を残した。防御率については、派遣期間を終えて帰国するまでリーグのトップに立っていた。
2012年、一軍公式戦2試合の登板で、1勝1敗を記録。しかし、通算防御率が9.00に達するほど投球内容が不安定で、いずれの試合後もすぐに出場選手登録を抹消された。
2013年、ウエスタン・リーグの公式戦では、チームメイトの白仁田寛和とリーグ防御率のトップを争うほど好調を保った。最終的に防御率(2.53)・勝利数(8勝)・勝率(.667)の3部門でリーグ2位になった。一軍でも、シーズン初登板・初先発になった4月29日の対広島東洋カープ戦(甲子園)で6回途中まで1失点と好投したことを皮切りに、チーム事情に応じて先発登板の機会を得た。しかし、勝負どころで踏ん張り切れずに交代を命じられたあげく、勝利投手にならないまま翌日に出場選手登録を抹消されるという事態が続いた。通算では8試合に登板したものの、0勝3敗、防御率3.83という成績にとどまった。
2014年、ウエスタン・リーグの公式戦では、20試合の登板で9勝7敗を記録した他、6月20日に広島東洋カープ由宇練習場で開催された対広島東洋カープ戦において、福井優也から2点本塁打を打った。最多勝利のタイトルを飯田優也・東浜巨と分け合い、投球回数(132回2/3)と奪三振数(116)がいずれもリーグトップ、防御率(2.58)がリーグ3位であった。しかし一軍公式戦では、3試合の登板で0勝1敗、防御率20.25に終わった。シーズン終了後の11月11日に甲子園球場で催された日本プロ野球80周年記念試合では、阪神・巨人連合チームの4番手投手として6回表に登板。MLBオールスターチーム打線を相手に1イニングを投げたが、唯一の被安打であるサルバドール・ペレスからのソロ本塁打で1失点を喫した。
2015年、一軍でのシーズン初登板であった7月9日の対中日ドラゴンズ戦(甲子園)で、先発投手として6回2失点。8月13日の同カード(京セラドーム大阪)でも先発で7回1失点と好投したが、いずれも味方のリードを守れずに降板したため、自身3年ぶりの一軍公式戦勝利には至らなかった。結局、一軍公式戦では3試合に登板。0勝1敗、防御率4.40という成績でシーズンを終えた。
2016年、公式戦の開幕を二軍で迎えたが、ウエスタン・リーグ公式戦では、夏場に通算22イニング無失点を記録するなど好調を維持。山田大樹と同じ9勝で2年ぶりに最多勝利のタイトルを獲得し、防御率でも山田に次ぐリーグ2位(2.08)という好成績を残した。救援要員として8月中旬から一軍に昇格すると、一軍公式戦で好投を続けた後に、9月から先発要員へ復帰。復帰2試合目であった9月16日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)では、6回途中1失点という内容で、一軍でのシーズン初勝利を挙げた。秋山が一軍の公式戦で勝利投手になったのは、2012年6月30日の対ヤクルト戦以来1539日ぶりだった。この勝利でシーズンを終えると、11月17日には、翌2017年シーズンから背番号を46に変更することが球団から発表された。
2017年、開幕から一軍の先発ローテーションに入ると、4月12日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で、一軍でのシーズン初勝利。その後の先発登板でも、相次いでクオリティ・スタート(QS)を達成。25歳最後の日であった4月25日に甲子園で催された同カードでは、1回表に1点を先制された直後(二死)から7回表終了まで19打者を連続アウトに仕留めるなど、8回2/3を投げて1失点に抑えたが0-1のスコアで敗戦。しかし、5月16日の対中日戦(甲子園)では、一軍公式戦自己最多の12三振を奪いながら1失点に抑えて9回完投勝利を収めた。秋山にとっては入団1年目の対ヤクルト戦(前述)以来7年(2438日)ぶり2度目、阪神の投手としてはレギュラーシーズン35試合目で初めての完投勝利であった。8月18日の対中日戦(ナゴヤドーム)では、伊藤準規からプロ初(一軍初)本塁打を打って自身を援護し、2桁勝利に到達した。9月14日の巨人戦(甲子園)では、菅野智之と3度目の投げ合いで6回無失点と好投し、勝ち投手こそ逃したものの、投球回数が143回1/3に達し自身初の規定投球回に到達した。最終的には25試合に登板し159回と1/3を投げ12勝6敗、防御率2.99を記録。投球回数と勝利数は共にチームトップとなった。また、規定投球回数に達した投手の中で両リーグ最少の16与四球を記録し、与四球率1.24、K/BBは7.69を記録した。
2018年は開幕3戦目となった4月1日の巨人戦で敗戦投手。5月8日の巨人戦で2010年以来8年ぶりとなる完封勝利を挙げた。この試合では山口俊からソロ本塁打を含む2安打を記録している。シーズン通して援護に恵まれないケースが目立ち、6月7日のオリックス・バファローズ戦を最後に白星から遠ざかったことから、最終的には自己ワーストの10敗を喫した。シーズンオフに右膝の手術を受けた。
2019年4月30日の広島戦で前年6月以来の白星。この試合は同日唯一のナイトゲームとして行われており、平成最後の勝利投手となっている。
2020年、登録抹消されることはあったもののシーズンのほとんどを一軍の先発ローテーションとして過ごし、規定投球回に8イニング足りなかったもののチーム2位の112イニングを投げて3年ぶり2度目の2桁勝利となるチームトップタイの11勝を挙げ、防御率2.89、勝率.786を記録した。同年は広島とヤクルト相手には共に4勝0敗、対広島戦の防御率は1.45と好相性だった。持ち味の制球面では与四球を12に抑えたが、一方で被本塁打はリーグ2位の17本を記録した。12月22日、1900万円増となる推定年俸5100万円で契約を更改した。
2021年は開幕からローテーションを守り続け、9月11日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で白星を挙げたことにより、2年連続となる2桁勝利を達成した。最終的に24試合に登板し、10勝7敗、防御率2.71を記録。11月29日に、翌シーズンから背番号を同年限りで引退した岩田稔が背負っていた21に変更することが発表された。12月8日、5900万円増となる推定年俸1億1000万円で契約を更改した。
2022年は春季キャンプでフォームを改造。開幕から3月31日、4月9日の試合(いずれも広島戦)に先発したが、いずれも敗北。4月10日に出場選手登録を抹消された。同月28日の中日戦でシーズン初勝利を挙げた。その後はヤクルト(5月4日)、広島(5月11日)相手に先発したが、いずれも早いイニングで降板した。それ以降は好調な投手陣を背景に一軍での登板の機会を得られず、最終的に前述の1勝のみに終わった。二軍ではウエスタン・リーグ最多の9勝を挙げたが、春季キャンプ前から不安を抱えていた右膝のコンディショニングに時間を費やし、2200万円ダウンの8800万円での契約更改となった。
2023年は伊藤将司の故障に伴いDeNAとの開幕2戦目(4月1日)の先発を任されたが、5回5失点で降板し、翌日に二軍降格となった。8月2日、約4か月ぶりに一軍昇格し、中日相手に2度目の先発登板したが、5回もたず3失点を喫し、敗戦投手となり、翌日に二軍降格となった。二軍では8勝を挙げ、前年に続きリーグ最多勝となったが、一軍登板は前述の2試合のみにとどまり、二軍防御率も3.95と前年の二軍成績と比べても悪化した。減額制限を超える4400万円減の推定年俸4400万円での契約更改となった。また、本人はシーズンを通して「日本一の中に加われなかった。状態が上がらなくて試合を見るのもつらかった」「14年目終わりましたけど、一番しんどい一年だった」と振り返った。
高い制球力を備え、平均球速約140km/h、最速150km/h(プロ入り後の最速は148km/h)のストレートとカットボールを軸に、シュート、縦のカーブ、フォークボールも混ぜる投球スタイル。不調時はカットボールに頼っていたが、シュートとストレートを主体に組み立てる投球も見せている。
前述のように高校時代は打者としての評価も高かったが、2年生の冬に腰を痛めてからは打撃が振るわず、本人が投手にこだわったことから、投手として阪神へ入団した。プロ入り後の投手としての結果が出ない時期には、周囲から野手への転向を勧められていた。実際に投手としては高い打率を残している。
前述されている通り投手へのこだわりが強く現在も「伊予ゴジラ」と呼ばれた時には伊予ゴジラという愛称の由来が高校通算48本の強打ということに触れ、「打者としての呼び方なんで好きじゃない。ピッチャーなのに、と思ってました」と、改めて強いピッチャーへのこだわりを見せた
愛称は「アッキャマン」。小学校3年時に転校したところ、それまで身長が高く「カッチャマン」と呼ばれていた生徒の身長を転校生の秋山が越えたことで、今度は秋山が「アッキャマン」と呼ばれるようになったことが由来である。
EXILEのATSUSHIと親交があり、2021年には自身の2年連続2桁勝利を祝してオリジナルの新曲を作成してもらうことになった。
丸亀市立城坤小学校時代の同級生にお笑いコンビ「ビスケットブラザーズ」の「きん」がおり、2人で食事に行く仲である。2021年にビスケットブラザーズがNHK上方漫才コンテストで優勝した際には、「きんとは幼なじみなんです!!漫才もコントも面白いんで応援お願いします」とTwitter上で祝福した。
高校時代に愛媛県大会でしのぎを削った済美高校出身のティモンディと親交があり、共同で自主トレーニングを敢行する仲である。2021年にはティモンディとコラボした「秋山×ティモンディ 食べればわかる!愛媛たっぷり弁当」が甲子園球場で販売され、甲子園で秋山が先発した6月20日にはティモンディ高岸が秋山からプレゼントされたグラブを身につけファーストピッチセレモニーに登場した。
2022年1月10日、兵庫県丹波篠山市の「アニマルレフュージ関西・篠山アーク」を訪問。社会貢献活動の一環として、日本の動物専用寄付サイトを運用する公益社団法人アニマル・ドネーションへ100万円の寄付を行った。
新日本プロレス所属のレスラー、オカダ・カズチカと似ていると言われている。
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | 阪神 | 7 | 7 | 1 | 1 | 1 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 166 | 40.1 | 33 | 3 | 13 | 1 | 0 | 23 | 0 | 0 | 16 | 15 | 3.35 | 1.14 |
2011 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 37 | 7.1 | 8 | 1 | 7 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 7 | 5 | 6.14 | 2.05 | |
2012 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 39 | 8.0 | 15 | 3 | 2 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 8 | 8 | 9.00 | 2.13 | |
2013 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 189 | 44.2 | 46 | 6 | 12 | 0 | 0 | 36 | 2 | 0 | 21 | 19 | 3.83 | 1.30 | |
2014 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 42 | 6.2 | 18 | 3 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 16 | 15 | 20.25 | 3.30 | |
2015 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 58 | 14.1 | 14 | 0 | 3 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 7 | 7 | 4.40 | 1.19 | |
2016 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 85 | 20.0 | 23 | 1 | 2 | 0 | 0 | 20 | 0 | 0 | 9 | 9 | 4.05 | 1.25 | |
2017 | 25 | 25 | 2 | 0 | 0 | 12 | 6 | 0 | 0 | .667 | 638 | 159.1 | 158 | 15 | 16 | 0 | 6 | 123 | 0 | 0 | 56 | 53 | 2.99 | 1.09 | |
2018 | 17 | 17 | 2 | 1 | 1 | 5 | 10 | 0 | 0 | .333 | 437 | 105.0 | 111 | 8 | 18 | 0 | 4 | 89 | 2 | 0 | 46 | 45 | 3.86 | 1.23 | |
2019 | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 219 | 50.2 | 56 | 5 | 12 | 0 | 1 | 35 | 2 | 0 | 27 | 24 | 4.26 | 1.34 | |
2020 | 18 | 18 | 2 | 0 | 1 | 11 | 3 | 0 | 0 | .786 | 435 | 112.0 | 97 | 17 | 12 | 1 | 0 | 64 | 2 | 0 | 45 | 36 | 2.89 | 0.97 | |
2021 | 24 | 23 | 1 | 0 | 1 | 10 | 7 | 0 | 0 | .588 | 539 | 132.2 | 121 | 18 | 25 | 3 | 3 | 107 | 2 | 0 | 43 | 40 | 2.71 | 1.10 | |
2022 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 101 | 23.0 | 29 | 1 | 3 | 0 | 0 | 15 | 1 | 0 | 15 | 14 | 5.48 | 1.39 | |
2023 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 46 | 9.2 | 16 | 1 | 1 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 8 | 8 | 7.45 | 1.76 | |
通算:14年 | 134 | 126 | 8 | 2 | 4 | 49 | 44 | 0 | 0 | .527 | 3031 | 733.2 | 745 | 82 | 130 | 7 | 15 | 540 | 11 | 0 | 324 | 298 | 3.66 | 1.19 |
年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2010 | 阪神 | 7 | 2 | 7 | 1 | 0 | .900 |
2011 | 2 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2012 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2013 | 8 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2014 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2015 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 8 | 3 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2017 | 25 | 4 | 27 | 0 | 2 | 1.000 | |
2018 | 17 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2019 | 10 | 4 | 8 | 0 | 0 | 1.000 | |
2020 | 18 | 2 | 12 | 2 | 1 | .875 | |
2021 | 24 | 8 | 9 | 2 | 1 | .895 | |
2022 | 5 | 0 | 9 | 0 | 0 | 1.000 | |
2023 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
通算 | 134 | 28 | 88 | 5 | 4 | .959 |