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5世紀
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"5世紀"
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(
2023年3月
)
千年紀
:
1千年紀
世紀
:
4世紀
-
5世紀
-
6世紀
十年紀
:
400年代
410年代
420年代
430年代
440年代
450年代
460年代
470年代
480年代
490年代
大仙古墳
。5世紀頃に築造された全長486メートルの最大級の
前方後円墳
で、
大阪府
堺市
に広がる
百舌鳥古墳群
を代表する。伝承では
仁徳天皇
陵とされている。
国土交通省
国土地理院
地図・空中写真閲覧サービス
の空中写真を基に作成
稲荷山古墳出土鉄剣(国宝)。
埼玉県立さきたま史跡の博物館
展示。左は表面、右は裏面。
フン族
の王
アッティラ
。アッティラの侵入は東西ローマ帝国を驚倒させた。画像は
ヴァティカン
教皇宮殿
ヘリオドロスの間
にある
ラファエロ
の「教皇
レオ1世
とアッティラの会見」。
ラヴェンナ
の
ガッラ・プラキディア廟堂
。ガッラ・プラキディアは西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世の母。
初期キリスト教美術
を代表する
モザイク
壁画が残されている。
西ローマ帝国
の滅亡。ゲルマン諸族の自立によりこの帝国の統治機構は寸断され、最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスは
スキリア族
傭兵隊長
オドアケル
に廃位され、ここに西ローマ帝国は滅亡した。画像は少年皇帝ロムルス・アウグストゥルスの肖像が刻印された金貨。
丸都城
から
平壌
へ。
高句麗
では427年に平壌に都が遷された。丸都城があった中国
吉林省
集安市には
高句麗前期の都城と古墳
が残されている。画像は禹山墓区第458号墓の「狩猟図」。
仏教と道教の融合。政権が不安定だった六朝時代は儒教が不振で、深遠な形而上学を扱う仏教や道教が歓迎された。画像は江戸時代の
曽我蕭白
の「虎渓三笑図」でこの時代を代表する仏僧の
慧遠
と道士の陸修静と詩人の
陶淵明
の邂逅が画題となっている。
雲崗石窟
。
北魏
の
文成帝
の時代に
曇曜
の奏上によって、都の
平城
(
大同市
)から西方約20キロに位置する雲崗で造営された石窟寺院。
キジル千仏洞
壁画。この石窟はシルクロード沿いのオアシス国家
亀茲
(クチャ)によって作られたもので、この時期には仏教が大いに繁栄したと伝えられている。訳経僧として名高い
鳩摩羅什
もここの出身である。
アジャンター石窟寺院
。インドではこの時代にグプタ様式と呼ばれる表現が発達した。画像はアジャンター石窟の壁画でパドマパーニ(蓮華手(観世音)菩薩)の像。
シーギリヤ
。
スリランカ
のシンハラ朝のカッサパ1世は父王から王位を奪い、
アヌラーダプラ
からこの地へと遷都した。画像はシーギリヤロックの全景で、この頂上にカッサパ1世は王宮を営んだが、最後は反乱軍の攻撃を受けここで自害している。
エフタル
の侵攻。現在のアフガニスタン北部に興起した遊牧民族エフタルは幾度となくサーサーン朝ペルシアと干戈を交え、インドではグプタ朝衰退の原因となった。画像は5世紀後半に作られたエフタル騎馬人物像のある銀碗(
大英博物館
蔵)。
コパン
の王権。コパンは古典期マヤの都市国家の一つ。画像は776年に作られた「コパンの祭壇Q」で、426年に初代コパン王となった
キニチ・ヤシュ・クック・モ
から16代の王の姿が刻まれている。
ナスカ文化
。紀元前1世紀から紀元後8世紀まで栄えたナスカ文化の編年はおよそ9期に分けられるが、5期から6期にかけての多色彩土器は巧緻な造形の絶頂期と位置づけられる。画像は
ペルー
の
リマ
にある
ラルコ博物館
(
英語版
)
所蔵の
シャチ
をモチーフにした多色彩土器。
カルケドン公会議
以後に
キリスト論
をめぐりキリスト教は分立した。「
単性論
派」と呼ばれる「
非カルケドン派正教会
」(自らの教理は単性論ではなく
合性論
であると自認する)には、
シリア正教会
・
コプト正教会
・
アルメニア使徒教会
などがある。画像は483年に再建されたアルメニア使徒教会の
首座主教
座、
エチミアジン大聖堂
(
英語版
)
。
シリア教会
。シリアでも修道生活が独自に発展した。
アレッポ
近郊で高い塔の上に登り、そこで祈りと瞑想の日々を送ったのが
登塔者シメオン
である。画像はこの修道士を描いた500年頃の浮き彫り(シリア・
ハマー
博物館蔵)。
ヴァンダル人
の躍進。ゲルマン諸族の中で最も故地から遠方に本拠地を構えたのがヴァンダル人である。指導者
ガイセリック
のもとローマを略奪して、その後帝国の穀倉地帯である北アフリカに定住した。画像は
カルタゴ
から出土したヴァンダル騎兵を描いたモザイク断片(大英博物館蔵)。
ヒッポレギウス
の
アウグスティヌス
。異民族の跳梁する衰勢の西ローマ帝国にあって、神の救済の歴史を描き出す『
神の国
』を執筆した。画像は6世紀に
ローマ
の
ラテラノ大聖堂
に描かれた肖像画。
クローヴィス
の洗礼。ゲルマン系諸民族の中でもフランク族はいち早くカトリック教会に従った。画像はランス司教レミギウスの伝記を浮き彫りにした9世紀の象牙板(
ピカルディー
美術館)だが、その下段はレミギウスがフランク王クローヴィスを受洗している場面である。
5世紀
(ごせいき)は、
西暦
401年
から西暦
500年
までの100年間を指す
世紀
。
できごと
日本
では
倭国
の
古墳時代
中期にあたる。各地で巨大な
前方後円墳
が築造され、地方と
ヤマト王権
中枢双方の首長たちの祭祀儀礼が執り行われる。この世紀の倭国は
朝鮮半島
諸国間の紛争に活発に武力介入を行っていたことが、日本側と朝鮮半島側双方の歴史記録から伺われる。当時の5代に及ぶ
治天下大王
が
東晋
から
南朝
にかけての
江南
の王朝に盛んに朝貢して王号と官職を得ていたことが中国
正史
の記述に残されており、
倭の五王
として知られている。
北海道北部や東部では
続縄文文化
とは異質な海獣漁労民の
オホーツク文化
(中期)が拡大する。
オーストロネシア語族
の
マレー系
民族が
アフリカ
東部の
マダガスカル
島に定着する。
400年代
詳細は「
400年代
」を参照
400年代初頭 -
大王
クラスの大形
前方後円墳
が
奈良盆地
から
大阪平野
に移り更に巨大化する。
大仙古墳
(伝仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)が代表例。副葬品に人物
埴輪
が現れる。
河内平野
には
茨田堤
や
難波の堀江
などの土木工事跡も残る。
401年 -
クチャ
の仏僧である
鳩摩羅什
が
後秦
の
姚興
に迎えられ
長安
に来訪。
402年
柔然
の
社崙
が初めて
可汗
を称する。
柴壁の戦い
で
北魏
が
後秦
に勝利する。
西ローマ皇帝
ホノリウス
が
ミラノ
(
メディオラヌム
)から
ラヴェンナ
へ遷都。
西ローマ帝国軍最高司令官
スティリコ
が
ポルレンティアの戦い
(
英語版
)
で西ゴート族の王
アラリック1世
に勝利。
403年 -
桓玄
が東晋の安帝から帝位を簒奪( - 404年)。
404年
倭軍がもとの
帯方郡
の地域に出兵し、
高句麗
軍に撃退される(
広開土王碑
)。
コンスタンティノポリス
大主教
ヨハネス・クリュソストモス
が追放される。
この追放に伴う混乱で、皇帝
コンスタンティウス2世
に奉献された初代の
ハギア・ソフィア大聖堂
は焼失する。
修道士テレマクスの死亡事故により西ローマ皇帝ホノリウスが
剣闘士
観戦を禁止し競技場を閉鎖。
405年
雲南
に
爨宝子碑
が建てられる。
ゴート人
ラダガイスス
による
フィレンツェ包囲戦
と
フィエーゾレの戦い
。
405年頃 -
ヒエロニムス
が
ラテン語
訳聖書「
ウルガータ
」を完成させる。
406年 - ヴァンダル・スエビ・アラン人などの集団が
ライン川
を渡り
ガリア
に侵入(
406年のゲルマン諸族のライン川渡河
(
英語版
)
)。
408年 - 西ローマ帝国軍最高司令官スティリコが処刑される。
409年 - 北魏の
道武帝
が息子
拓跋紹
に殺害される。
410年代
詳細は「
410年代
」を参照
410年
西ゴート人
の
アラリック1世
が
ローマ市を占領し掠奪
。
西ローマ帝国
の衰亡が決定的になる。
ローマ軍が属州
ブリタンニア
から撤退し、西ローマ帝国のブリタンニア支配が終わる。
411年
ガリシア
に
スエビ王国
が成立する(
ガリシア王国
)。
カルタゴ教会会議
(
英語版
)
で
ドナトゥス派
が断罪される。
413年
東晋で
劉裕
による「義熙
土断
」が行われる。
法顕
が海路から東晋に帰国する。帰国後その旅行記『
仏国記
(法顕伝)』を著す。
倭国
が
東晋
に朝貢する(東晋・義熙9年、『
晋書
』安帝紀、『太平御覧』)。
東ローマ皇帝
テオドシウス2世
により首都コンスタンティノポリスの
コンスタンティノープルの城壁#テオドシウスの城壁
が完成する。
414年
西ローマ皇女
ガッラ・プラキディア
と西ゴート王
アタウルフ
が
ナルボンヌ
で結婚。西ゴート人が
イベリア半島
に侵入。
高句麗の
長寿王
が
広開土王(好太王)碑
を建てる。
415年
ワリア
王が
トロサ
(トゥールーズ)に遷都し
西ゴート王国
が自立する。
エジプトの
アレクサンドリア
で女性哲学者
ヒュパティア
がキリスト教の修道士らに惨殺される。
デリーの鉄柱
が建立される。
『
日本書紀
』では
允恭天皇
4年のこの年に
氏姓
の乱れを正すために
甘樫丘
(甘樫坐神社)で
盟神探湯
を行ったと記録されている。
416年 - 『
日本書紀
』では
允恭天皇
5年のこの年に地震が起きたと記録されている(
允恭地震
、日本最古の地震の記録)。
417年 - 東晋の劉裕が
後秦
を滅ぼし、一時的に
洛陽
・
長安
を奪還する。
418年
夏
の
赫連勃勃
が長安を占領。
カルタゴ教会会議
(
英語版
)
にて
ペラギウス主義
が断罪される。
420年代
詳細は「
420年代
」を参照
420年 - 東晋に代わり
宋
を建国した劉裕が皇帝(武帝)となる。
421年
ヴェネト
地方住民が
アドリア海
に面した
ラグーナ
(潟)に都市を建設(
ヴェネツィア
建国の伝説)。
(宋・永初2年)- 倭王の讃、宋に朝貢し、宋の武帝から、除綬の詔うける(おそらく安東将軍倭国王)(『
宋書
』倭国伝)。
425年
(宋・元嘉2年)- 倭王の讃、司馬の
曹達
を遣わし、宋の
文帝
に貢物を献ずる(『宋書』倭国伝)。
エフタル
が
バクトリア
地方に侵入し、サーサーン朝と激突。
東ローマ皇帝テオドシウス2世により
コンスタンティノポリス大学
(パンディダクテリオン)が創建される。
東ローマ皇帝テオドシウス2世の命により騎兵長官
アスパル
が
西ローマ皇帝
ヨハンネス
を殺害。
テオドシウス2世の甥
ウァレンティニアヌス3世
が西ローマ皇帝となる。
426年
皇帝テオドシウス2世が異教神殿破壊令を発し、オリンピア祭典競技施設を破壊する。
ヒッポレギウス
司教アウグスティヌスが『
神の国
』を完成させる(
413年
- )。
コパンの祭壇Q
(
英語版
)
銘文によると
コパン
の初代王
キニチ・ヤシュ・クック・モ
が即位する。
このコパン王の後見により
キリグア
王トク・「キャスパー」も即位する。
427年
高句麗の
長寿王
が
丸都城
から
平壌
に遷都する。
東晋の詩人
陶淵明
が死去。
428年 - サーサーン朝支配下の
アルメニア王国
で王政が廃絶される。
429年 -
ガイセリック
率いるゲルマン系
ヴァンダル族
が
ジブラルタル海峡
を越えて北アフリカに移動。
430年代
詳細は「
430年代
」を参照
430年
ヴァンダル族に包囲された
ヒッポレギウス
にて司教
アウグスティヌス
が死去。
(宋・元嘉7年)- 倭国王、宋に使いを遣わし、貢物を献ずる(おそらく讃)(『宋書』文帝紀)。
430年頃
日本各地に巨大古墳出現する。馬具や甲冑、刀などの武器が副葬されるようになる。
ベツレヘム
で発見された最古の
グルジア語
碑文である「
ビール・エル・クット碑文
」はこの時期のもの。
431年 -
エフェソス公会議
で
ネストリウス派
(のちの
景教
)が異端宣告される。
聖母マリア
の「
テオトコス
(神の母・
生神女
)」の称号が公式に認められる。
432年
ローマ教皇
シクストゥス3世
の命により
ローマ
の
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
が建立される。
パトリキウス
が
アイルランド
でのキリスト教宣教を始める。
ヴェスヴィオ
火山大噴火。
433年 - 東晋の詩人
謝霊運
が刑死する。
434年
アッティラ
が
フン族
の王となる。
ローマ教皇
シクストゥス3世
によりローマの
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
が奉献される。
435年 - 西ローマ帝国が北アフリカの領土をヴァンダル人に譲り、
ヴァンダル王国
が成立する。
437年 - 西ローマ帝国将軍
アエティウス
がフン族を派遣し第一
ブルグント王国
を滅ぼす。
ヴォルムス
のグンダハール王と
ブルグント族
が殺害されたこの事件は叙事詩『
ニーベルンゲンの歌
』のもととなる。
438年
(宋・元嘉15年)- これより先、倭王讃没し、弟珍立つ。この年、珍宋に朝貢し、自ら「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」と称し、正式の任命を求める(『倭国』倭国伝)。4月、宋の文帝、珍を安東将軍倭国王とする(『宋書』文帝紀)。珍はまた
倭隋
ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め、許される(『宋書』倭国伝)。
東ローマ帝国で『
テオドシウス法典
』が発布される。
439年
カルタゴ
がヴァンダル族に占領され、この国の首都とされる。
北魏
の
太武帝
が
甘粛
河西
の
北涼
を滅ぼし華北を統一。
五胡十六国時代
が終わり、
南北朝時代
が始まる。
440年代
詳細は「
440年代
」を参照
440
-
450年
-
千葉県
市原市
の
養老川
下流域の北岸台地上の
稲荷台1号墳
で出土した「王賜銘」鉄剣が房総の王に授けられる。
442年 -
沮渠氏
により
高昌
国が成立。
443年
(宋・元嘉20年)- 倭国王の済、宋に朝貢して、安東将軍倭国王とされる。
スイス・フランス東南部に第二
ブルグント王国
が成立。
445年 - 北魏が
鄯善
国(
楼蘭
)を滅ぼす。
446年 - 北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。
449年 -
エフェソス強盗会議
が開かれる。
この会議に対抗してローマ教皇
レオ1世
が「フラウィアヌスへの書簡(
レオのトムス
(
英語版
)
)」を送付する。
450年代
詳細は「
450年代
」を参照
450年
北魏で国史の獄が起こり、
崔浩
らが処刑される。
宋の文帝が北伐の軍を起こすが、北魏の太武帝の反撃により長江北岸
瓜歩
まで奪取される。
450年頃 -
アングロ・サクソン
族がブリテン島に移住。
451年
カタラウヌムの戦い
で西ローマ・ゴート連合軍がフン族の
アッティラ
王を破る。
カルケドン公会議
で
単性論
(モノフィシティズム)が異端宣告される。
エウテュケス主義が断罪され、
合性論
(ミアフィジズム)の立場を取る
非カルケドン派正教会
が分立。
アヴァライアの戦い
(
英語版
)
でサーサーン朝ペルシアがアルメニアに辛勝する。
452年
北魏の太武帝が宦官の
宗愛
により殺害される。
アッティラ率いるフン族がイタリアに進攻。
マントヴァ
にてアッティラと教皇レオ1世の会見。
フン族の侵攻を恐れた北イタリア住民が
ヴェネタ潟
に逃れて
ヴェネツィア
が成立。
453年 - アッティラが急逝。フン族の後継者争いが起こり、息子の
エラク
が勝利する。
454年 -
ネダオ川の戦い
(
英語版
)
で、フン族の王エラクがゲピド族長アルダリックに敗北し、フン族の国家は崩壊する。
455年
ヴァレンティニアヌス3世
の暗殺による西ローマ帝国でのテオドシウス朝の断絶。
ヴァンダル王
ガイセリック
がローマを占領し、
ローマを略奪
。
456年
ティカル
の「嵐の空」王(
シヤフ・チャン・カウィール2世
)が亡くなる(神殿3,48号墓)。
457年 - 日本で
雄略天皇
が即位する。
この年からの日本書紀の記録は
元嘉暦
によって記載される(
古天文学
研究者
小川清彦
ほかの研究による)。
460年代
詳細は「
460年代
」を参照
460年 - 北魏で
雲崗石窟
の工事始まる。
462年 -
武寧王陵
墓誌から百済
武寧王
はこの年に生まれたことが確認できる。
これは『日本書紀』の雄略5年に武寧王が生まれたという記事と対応する。
463年
吉備氏の乱
が起こる。
コンスタンティノポリス
にストゥディオス修道院が設立される。
468年 -
バシリスクス
司令官率いる東西ローマ帝国連合軍が北アフリカの
ボン岬の戦い
(
英語版
)
でヴァンダル王国に大敗。
470年代
詳細は「
470年代
」を参照
470年
伝承ではイランの
ヤズド
にある
ゾロアスター教
の
拝火神殿
(アーティシュガーフ)の火はこの年より今日まで燃え続けている。
471年
埼玉県
行田市
稲荷山古墳
から出土した「辛亥年七月中」の干支銘を持つ
金錯銘鉄剣
が製作される。
東ローマ皇帝
レオ1世
がイサウリア人タラシコデッサ(後の皇帝
ゼノン
)とともに軍事長官
アスパル
を倒す。
475年
高句麗が百済の都
漢城
を制圧し、百済の
蓋鹵王
が戦死する。後継の
文周王
が
熊津
に遷都する。
西ゴート王
エウリック
がゲルマン法に基づく成文法の「
エウリック法典
」を編纂。
476年 - ゲルマン人傭兵隊長
オドアケル
により皇帝
ロムルス・アウグストゥルス
が廃位され、西ローマ帝国が滅亡する。
帝位は東ローマ皇帝
ゼノン
に返上され、オドアケルはパトリキウスとしてイタリアを支配する。
477年 - 倭国が宋に朝貢する(『宋書』順帝紀)。これより先、興没し、弟の武立つ。
478年 - 倭王武が宋に入貢して上表する。「父祖の功績と父兄の志を述べ、高句麗の無道を糾弾し、自ら開府儀同三司と称し、正式の任命を求める。宋の順帝武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」とする(『宋書』順帝紀、『宋書』倭国伝)。
479年
中国で
南朝
の宋に代わり
蕭道成
(高祖)が
斉
を建てる。
加耶
諸国の大加耶国王荷知が中国斉に使者を送り「輔国将軍加羅国王」の称号を得る。
百済の
三斤王
が死去し、
東城王
が即位。
雄略天皇が死去し、
清寧天皇
が即位、
星川皇子の乱
が起こる。
480年代
詳細は「
480年代
」を参照
480年 -
ダルマティア
の支配者で西ローマ皇帝でもあった
ユリウス・ネポス
が
スパラトゥム
で暗殺される。
481年
メロヴィング朝
の
フランク国王
キルデリク1世
が死去。
キルデリク1世はベルギーの
トゥルネー
の墓に多数の黄金の宝飾品とともに埋葬される。
キルデリク1世の息子
クローヴィス1世
がメロヴィング朝のフランク国王として即位。
482年 - 東ローマ皇帝ゼノンが「ヘノティコン(統一令)」を発布。
484年
ヘラートの戦いで、エフタルのアフシュワルがサーサーン朝のペーローズ1世を敗死させる。
山西省大同郊外にある北魏の吏部尚書
司馬金龍
墓が作られ、「
彩絵人物故事漆屏
(
中国語版
)
」が置かれる。
485年 - 北魏の
馮太后
の
摂政
のもと
孝文帝
が
均田制
を実施する。翌年には
三長制
を実施。
486年 -
ソワソン
の戦いで、クロヴィス1世がガリア北部を支配していた西ローマ系軍閥
シアグリウス
を破る。
487年 -
高車
が柔然の支配から脱して
ジュンガリア
に建国。
488年 - 東ローマ皇帝ゼノンが
エデッサ
の学院閉鎖を命じ、教師と学生は
ニシビス
(
英語版
)
へと移動する。
489年 -
イゾンツォの戦い
と
ヴェローナの戦い
。
東ゴート族長
テオドリック
がオドアケルに勝利しイタリア各地に進出。
490年代
詳細は「
490年代
」を参照
490年 -
ラヴェンナ包囲戦
( - 493年)。
491年 - 北魏で
山西省
大同
にある
懸空寺
が創建される。
493年 -
東ゴート人
の族長テオドリックがオドアケルを暗殺し
東ゴート王国
を建国。
都はラヴェンナで、この時期に
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
や
アリウス派洗礼堂
(
英語版
)
を建立する。
テオドリック王はフランク王クロヴィス1世の娘オードフレダを王妃とし、娘二人を西ゴート王やブルグントに嫁がせる。
494年 - 北魏の孝文帝が平城(
大同
)から
洛陽
に遷都。
洛陽近郊に
竜門石窟
寺院が建立され、
漢化政策
が推進される。
496年
北魏の孝文帝が太子
元恂
を廃し、翌年殺害する。
河南省
鄭州市
の
嵩山少林寺
が創建される。
トルビアックの戦い
(
英語版
)
でフランク王国が
アラマンニ族
に勝利する。
サーサーン朝のカワード1世が廃位され、
忘却の城
(
英語版
)
に幽閉される。
498年
フランク国王クロヴィス1世が
ランス
司教
レミギウス
のもとカトリックに改宗する。
この改宗にはブルグント王家出身の王妃
クロティルド
の勧めもあった。
この地でのクロヴィス1世の戴冠により、ランス大聖堂は歴代フランス王戴冠の場とされていく。
ネストリウス派
が
セレウキア
・
クテシフォン
に独自の
総主教
を立てる(
アッシリア東方教会
)。
トルファン
地方に
麴氏
の
高昌
国が興る。
499年
インドの
アーリヤバタ
が
円周率
の近似値や
三角関数
に言及した『アーリヤバティーヤ』を執筆。
500年代
詳細は「
500年代
」を参照
500年前後 -
ベイドン山の戦い
で
ブリトン人
が
アングロ・サクソン人
を打ち破ったか。この事件が
アーサー王
伝説の起源となったか。
500年 - 倭軍が新羅の長嶺鎮を攻め陥落させる。新羅の
炤知王
が死去し、
智証王
が即位。
500年頃
ボリビア
の
チチカカ湖
周辺の
ティワナク文化
が最盛期を迎える(ティワナクIV期前半)。
代表的な建築にカラササヤやそれに隣接する半地下神殿、アカパナ、カンタタリータ、プトゥニ他がある。
コロンビア
北部の
カリブ海
に注ぐシヌー川下流流域で
シヌー文化
が展開( - 800年頃)。
近接するコロンビアの
マグダレナ川
上流の山岳地帯では
サン・アグスティン
文化が展開する。
5世紀後半から6世紀前半
朝鮮半島南部の前方後円形墳
(長鼓墳)が作られる。
現在の大韓民国の
全羅北道
・
全羅南道
の
栄山江
流域に複数が点在するが、倭系か百済系か
伽耶
系かは結論が出ていない。
5世紀末から7世紀
ブリテン島
の
ブルトン人
が
アルモリカ
(現フランスの
ブルターニュ
地方)や、ブリトニア(現スペインの
ガリシア
地方)に移住する。
文化
人物
地中海世界
フン族の帝国
アッティラ
(
406年
? -
453年
)- 遊牧民族フン族の王。東西ローマ帝国を圧迫するが
カタラウヌムの戦い
では敗北。
ゲルマン諸王
アラリック1世
(
360年
-
410年
)- 西ゴート王国国王(在位
395年
-
410年
)・ローマ市を陥落させ略奪。
ガイセリック
(
389年
頃 -
477年
)- ヴァンダル王国国王(在位
428年
-
477年
)・属州北アフリカを占領。
オドアケル
(
433年
-
493年
)- ゲルマン系スキリア族出身の傭兵隊長・西ローマ帝国を滅ぼしイタリアを支配。
テオドリック
(
454年
-
526年
)- 東ゴート王国初代国王(大王)(在位
493年
-
526年
)・オドアケルを滅ぼす。
クローヴィス1世
(
466年
-
511年
)- メロヴィング朝フランク王国初代国王(在位
481年
-
511年
)・カトリックに改宗。
西ローマ帝国とその周辺
ヒエロニムス
(
340年
頃 -
420年
)-
キリスト教
神学者
・
聖書
(ウルガタ)の翻訳者。ローマ教皇
ダマスス1世
に近侍。
プルデンティウス
(
348年
-
405年
以降) - キリスト教ラテン詩人・「
プシュコマキア
(魂の闘い)」「シュンマクス駁論」などの詩がある。
ホノラトゥス
(
英語版
)
(
350年
頃 -
429年
) - ガリアの
アルル
大司教・東方修道制を手本に
レランス
修道院を設立。
ノラのパウリヌス(
353年
頃 -
431年
) - イタリアの
ノラ
司教・元老院議員・詩人として『歌謡三一』などの作がある。
アウグスティヌス
(
354年
-
430年
)- キリスト教神学者・北アフリカのヒッポ
司教
・著作に『
告白
』『
神の国
』がある。
ペラギウス
(
354年
-
420年
/
440年
) - キリスト教神学者・その主張は
異端
とされる(
ペラギウス主義
)。
オロシウス(生没年不詳)- イベリア出身の司祭・キリスト教神学者・アウグスティヌスの弟子・歴史書『異教徒に反論する歴史』を執筆。
マクロビウス
(生没年不詳) - ローマの著述家。『「スキピオの夢」注釈』や『サトゥルナリア』のほか著作を残す。
マルティアヌス・カペラ
(
365年
-
440年
)- ローマの著述家。著作に自由七学芸を選別した『文献学とメルクリウスの結婚』がある。
フラウィウス・スティリコ
(
365年
-
408年
) - 西ローマ帝国の将軍・西ゴート族を締め出し帝国の維持に奔走・皇帝の命で暗殺される。
パトリキウス
(
387年
? -
461年
) - アイルランドで宣教した司教。もとは
ウェールズ
出身の
ケルト
人。「アイルランドの使徒」と呼ばれる。
ガッラ・プラキディア
(
390年
頃 -
450年
) - 西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の母・ラヴェンナの
ガッラ・プラキディア廟堂
を建立。
レオ1世
(
390年
-
461年
) -
ローマ教皇
(在位
440年
-
461年
)。マントヴァの会見でアッティラのイタリア侵攻を制止。
フラウィウス・アエティウス
(
391年
頃 -
454年
) - 西ローマ帝国の将軍・
パトリキ
・
カタラウヌムの戦い
でフン族に勝利するが暗殺される。
サルウィアヌス(
400年
頃 -
470年
/
480年
) - ガリア出身の司祭・キリスト教神学者・『神の支配について』を執筆。
リキメル
(
405年
? -
472年
)- 西ローマ帝国のゲルマン系将軍・パトリキ・最末期の西ローマ皇帝を改廃する。
ゲノフェーファ(
ジュヌヴィエーヴ(聖人)
(
英語版
)
)(
419年
/
422年
-
502年
/
512年
) - ガリアの修道女・フン族の攻撃から
パリ
を守った聖女とされる。
シドニウス・アポリナリス
(
431年
頃 -
489年
) -
トゥール
司教。末期ラテン語詩人を代表し「書簡」や「頌詩」を残す。
ゲラシウス1世
(? -
496年
) - ローマ教皇(在位
492年
-
496年
)。皇帝
アナスタシウス1世
宛書簡で聖俗並立の「両剣論」を唱える。
ロムルス・アウグストゥルス
(
460年
-
511年
以降) - 西ローマ帝国最後の皇帝(在位
475年
-
476年
)。オドアケルに廃位され追放される。
アンブロシウス・アウレリアヌス
(5世紀後半) -
ブリトン人
指導者・
アングロ・サクソン人
と戦い
アーサー王
伝説の原型となったと言われる。
東ローマ帝国とその周辺
ヨハネス・クリュソストモス
(
349年
頃 -
407年
)- キリスト教神学者・
コンスタンティノポリス
総主教
・
三成聖者
の一人。
アエリア・エウドクシア
(
英語版
)
(? -
404年
) - 東ローマ皇帝アルカディウスの皇后・ヨハネス・クリュソストモスの追放に大きな影響力を持った。
モプスエスティアのテオドロス
(
350年
頃 -
428年
)- キリスト教神学者・ネストリオスの師・その著作が
三章問題
(
英語版
)
で異端とされる。
マロン(? -
410年
) - キリスト教の修道士・シリアの
アンティオキア
で活躍・のちに
単意論
を唱える
マロン派
の祖とされる。
メスロプ・マシュトツ
(
360年
-
440年
) - キリスト教神学者・
アルメニア文字
を考案し聖書の
アルメニア語
訳を行う。
ヒュパティア
(
370年
? -
415年
)-
エジプト
の女性
数学者
・
天文学者
・
新プラトン主義
哲学者
・キリスト教徒に虐殺される。
アレクサンドリアのキュリロス
(
376年
-
444年
)- キリスト教神学者・エジプトの
アレクサンドリア総主教
。ネストリオスの論敵。
エウテュケス
(
380年
頃 -
456年
頃) - キリスト教神学者・コンスタンティノポリスの大修道院長。その主張は
単性論
とされる。
ディオスコロス(? -
454年
) - キリスト教神学者・エジプトの
アレクサンドリア総主教
。
エフェソス強盗会議
でエウテュケスを支持。
ソクラテス・スコラスティコス(
380年
頃 -
439年
以降) - 歴史家・エウセビオスの著作に続く4世紀から5世紀の『教会史』を執筆する
ネストリオス
(
381年
? -
451年
?)- キリスト教神学者・コンスタンティノポリス総主教。その主張は異端とされる(
ネストリウス派
)。
登塔者シメオン
(
390年
頃 -
459年
) - キリスト教の修道士・シリアで柱頭行なる修行に励み、それを記念して
聖シメオン教会
が建てられる。
テオドレトス
(
393年
頃 -
457年
頃) - キリスト教神学者・キュロス主教・『教会史』『敬神者列伝』がある・三章問題で断罪される。
エデッサのイバス
(
英語版
)
(? -
457年
頃) - キリスト教神学者・ペルシアのマリス宛て書簡による三章問題で断罪される。
テオドシウス2世
(カリグラフォス)(
401年
-
450年
) - 東ローマ帝国の皇帝(在位
408年
-
450年
)・「テオドシウスの城壁」や法典を整備。
アスパル
(? -
471年
) - 東ローマ帝国のゲルマン系軍司令官・ヴァンダルやフンと戦う・マルキアヌス帝やレオ帝の擁立に力があった。
パニウムのプリスクス
(
英語版
)
(
410年
/
420年
-
472年
以降) - 東ローマ帝国の外交官・歴史家・テオドシウス2世の命でフン族のアッティラと会見し記録を残す
プロクロス
(
412年
-
485年
) -
アカデメイア
学頭・新プラトン主義哲学者・伝統継承者(ディアドコス)の別名があり『神学原論』を執筆。
偽ディオニシウス・アレオパギタ
(生没年不詳) - キリスト教神学者・プロクロスの影響を受け『天上位階論』『神名論』『神秘神学』を執筆。
イベリアのペトル
(
413年
頃 -
491年
) -
イベリア王国
の王子・神学者・新プラトン主義を教義に導入・偽ディオニュシオス文書の執筆者説あり。
アカキオス(? -
489年
)- キリスト教神学者・コンスタンティノポリス総主教。皇帝ゼノンに「ヘノティコン」発布を勧めローマ教会と対立。
ゼノン
(
426年
-
491年
) - 東ローマ帝国の皇帝(在位
474年
-
491年
)・東ゴート王テオドリックにオドアケル討伐を命じる
ゾシモス(活躍時期
490年
頃 -
510年
頃) - 官僚・歴史家・『新しい歴史(ヒストリア・ネア)』は帝政ローマ後期の重要資料。
西アジア
バハラーム5世(
406年
-
438年
) - サーサーン朝の第15代君主(在位
420年
-
438年
)・後世
ニザーミー
の『七王妃物語』のモデルとなる
南アジア
チャンドラグプタ2世
(生没年不詳) -
インド
の
グプタ朝
第3代の王(在位
376年
-
415年
)・グプタ朝の最盛期・
法顕
『
仏国記
』では「超日王」と記す
クマーラグプタ1世
(
英語版
)
(生没年不詳) - インドのグプタ朝第4代の王(在位
415年
-
455年
)・
ナーランダ僧院
設立・
デリーの鉄柱
を建立
バルトリハリ
(生没年不詳) - インドの文人・文法学者として『ヴァーキヤ・パディーヤ』が、詩人として『三百頌(離欲・処世・恋愛)』がある
カーシャパ(? -
495年
) -
スリランカ
の王(在位
477年
-
495年
)・父王ダートゥセーナを倒し
シーギリヤ
に王宮を営む
ブッダゴーサ
(5世紀) - スリランカの僧・
パーリ語
経典に注釈をつけ
シンハラ語
の解説を行った・著作に『
清浄道論
』がある
ティルヴァッルヴァル
(生没年不詳) - 南インドの詩人・思想家・
タミル文学
を代表する箴言詩集『
ティルックラル
』を残す
東アジア
五胡十六国
鳩摩羅什
(
350年
-
409年
、一説に
344年
-
413年
) -
亀茲
国出身の
訳経僧
・
五胡十六国
の
後秦
で仏典を漢訳
姚興
(
366年
-
416年
) - 五胡十六国の後秦の第2代皇帝(高祖)(在位
399年
-
416年
)・華北に覇を唱える・鳩摩羅什の庇護者
赫連勃勃
(
381年
-
425年
) - 五胡十六国時代の夏の初代皇帝(在位
407年
-
425年
)・後秦から独立し長安を占領・暴君でも有名
東晋
慧遠
(
334年
-
416年
) - 東晋の僧・中国念仏宗の祖・
廬山
に
白蓮社
を結成し『
沙門不敬王者論
』を残す
法顕
(
337年
-
422年
) - 東晋の僧・グプタ朝のインドからスリランカなど各国を歴訪・『
仏国記
』を残す
陶淵明
(
365年
-
427年
) - 東晋末から南朝宋の
詩人
・田園詩を得意とし「帰去来の辞」や「桃花源記」を残す
桓玄
(
369年
-
404年
) - 東晋の軍人・政治家・
司馬道子
政権を倒し安帝より禅譲を受けるが劉裕に制圧される
謝霊運
(
385年
-
433年
) - 東晋末から南朝宋の詩人・山水詩を得意とし作品に「登池上樓」を残す
范曄
(
398年
-
445年
) - 東晋末から南朝宋の政治家・歴史家として『
後漢書
』を撰述
陸修静(
406年
-
477年
) - 東晋末から南朝宋の道士・道教経典の整理を行い『三洞経書目録』にまとめる
南朝
劉裕
(
363年
-
422年
)- 南朝宋の初代皇帝(武帝)(在位
420年
-
422年
)
文帝
(
407年
-
453年
) - 南朝宋の三代皇帝(在位
424年
-
452年
)・その治世が「
元嘉の治
」
何承天
(
370年
-
447年
) - 南朝の思想家・数学者・天文学者・南朝宋の歴史を整理し
元嘉暦
を編纂した
裴松之
(
372年
-
451年
) - 南朝の政治家・歴史家・
陳寿
の『
三国志
』に注をつけたことで知られる
劉義慶
(
403年
-
444年
) - 南朝宋の王族・政治家・文学者として『
世説新語
』を著す
顧歓
(
420年
頃 -
483年
以後) - 南朝の道士・「夷夏論」を執筆して外来宗教の仏教を批判し中国の伝統を擁護
蕭道成
(
427年
-
482年
) - 南朝斉の初代皇帝(高帝)(在位
479年
-
482年
)
祖沖之
(
429年
-
500年
) - 南朝の天文学者・数学者・発明家・
円周率
の計算や
大明暦
の編纂で知られる
武帝
(
440年
-
493年
) - 南朝斉の二代皇帝(在位
482年
-
493年
)・その治世が「永明の治」
沈約
(
441年
-
513年
) - 南朝斉から梁の文学者・政治家・「竟陵八友」の一人・『
宋書
』の編纂に当たる
蕭子良
(
460年
-
494年
) - 南朝斉の皇子(竟陵王)・文人集団「竟陵八友」を庇護・著作に『浄住子浄住法門』がある
謝赫
(生没年不詳) - 南朝斉から梁の画家・評論家・画論書『
古画品録
』を著し顧愷之の画論を発展させた「画の六法」を提言
北朝
拓跋珪
(
398年
-
409年
) - 北朝北魏の初代皇帝(道武帝)(在位
371年
-
409年
)
太武帝
(
408年
-
452年
) - 北朝北魏の第3代皇帝(在位
423年
-
452年
)・
魏武の法難
(廃仏)を実施する
孝文帝
(
467年
-
499年
) - 北朝北魏の第7代皇帝(在位
471年
-
499年
)・
平城
から洛陽に遷都し
漢化政策
を行う
馮太后
(文明皇后)(
442年
-
490年
) - 北朝北魏の
文成帝
の皇后・続く
献文帝
・
孝文帝
で
垂簾聴政
を行い
均田制
や
三長制
を導入
寇謙之
(
365年
-
448年
) -
北朝
北魏の道士・新天師道の開祖・自ら「太平真君」と称し北魏太武帝に廃仏を勧める
崔浩
(
381年
-
450年
) - 北魏の漢人宰相・寇謙之とともに廃仏を実行・漢化政策が鮮卑の反発を招き誅殺される(国史の獄)
曇曜
(生没年不詳) - 北魏の僧侶(
沙門統
)・太武帝の廃仏以後の仏教を復興・
雲崗石窟
寺院を造営し五体の仏像を安置したことで有名
李安世
(
中国語版
)
(
443年
-
493年
) - 北朝北魏の政治家・孝文帝時代に土地制度改革を奏上し均田制を導入する
柔然
社崙可汗
(? -
410年
) - 柔然の初代可汗(在位
402年
-
410年
)・西は
焉耆
から東は朝鮮に至る国家を形成し北魏と対決
満州
好太王
(
374年
-
412年
) - 高句麗の第19代の王(在位
391年
-
412年
)・朝鮮半島諸国や倭国の外交史資料「
好太王碑
」でも有名
長寿王
(
394年
-
491年
) - 高句麗の第20代の王(在位
413年
-
491年
)・百済の蓋鹵王を攻め滅ぼす・98歳の長寿でも有名
朝鮮半島
蓋鹵王
(? -
475年
) -
百済
の第21代の王(在位
455年
-
475年
)・高句麗の侵攻により首都慰礼城を攻められ王は戦死する
慈悲王
(? -
479年
) -
新羅
の第20代の王(在位
458年
-
479年
)・高句麗に急襲された百済を救援に向かうが成功せず
日本
雄略天皇
(
418年
-
479年
) - 第21代天皇(在位
456年
-
479年
)・
倭の五王
の
武
に比定される
架空のできごと
5世紀 - 西ローマ帝国支配下のガリア(フランス)。羊飼いの少女アストレと青年セラドンは純粋に愛し合っていたが、あらぬ誤解からアストレはセラドンを拒絶してしまう。絶望したセラドンは川に身を投げ自殺を図るが、森の妖精ニンフに救われ一命を取り留める。(オノレ・デュルフェの小説『アストレ』。これを映画化したのが
エリック・ロメール
監督作『
我が至上の愛〜アストレとセラドン〜
』)。
5世紀 - 現在の
ブルターニュ
地方にコルヌアイユという国があり、グラドロン王が支配していた。聖
コランタン
(
フランス語版
)
により王はキリスト教に改宗したが、娘のダユーはそれを良しとせず、新たに海に面した都イスを建造し移り住んだ。イスの支配者となったダユーは海行く船から富を略奪し、その豊かな富で享楽に溺れ、この地は背徳のはびこる都となっていった。コランタンは弟子の聖
ゲノル
(
フランス語版
)
にイスの人々を改悛させようとするもかなわず、ダユーが悪魔にそそのかされて水門が開けられると、この都はダユーとともにみるみる水没し、海の奈落に沈んでいった(ブルターニュ民譚集『
バルザス・ブレイズ
』他の「
イスの伝説
」)。
5世紀 - 6年6週と6日もの間、シモン(
登塔者シメオン
)は砂漠の柱で修行に励む。柱の上で一心不乱に祈りを捧げるシモンの前に、魔女や豪勢な食料を持った悪魔が現れては甘言を弄し堕落を促す。その誘惑に負けまいとしつつも、朦朧とした意識からついにシモンは塔から降りてしまう。(
ルイス・ブニュエル
の映画「砂漠のシモン」)。
448年 - ローマ皇帝
デキウス
治世下の251年、迫害されていたキリスト教徒の若者7名が、
小アジア
の
エフェソス
近郊の洞窟に閉じ込められる。以来、彼らは深い眠りに落ち196年の歳月が経った。
東ローマ皇帝
テオドシウス2世
が治めるこの年に洞窟の封鎖は解かれ、彼らは覚醒し、キリスト教がローマ帝国の国教に変わっていたことに驚く。(
ヤコブス・デ・ウォラギネ
の『
黄金伝説
(聖人伝)』ほかの「
七人の眠り聖人
伝説」)。
478年 -
丹波国
余社郡筒川の人である
瑞江浦島子
が海へ船を出し、沖合で釣りをしていたところ、巨大な亀を釣り上げる。その亀が美女に姿を変えたので、浦島子はその美女を妻とし、二人でともに海へ入り、
蓬萊山
へ至って仙境を見て回ったと言う(『
日本書紀
』雄略紀22年条。最古の「浦島太郎伝説」)。
関連項目
年表
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
5世紀
に関するカテゴリがあります。
表
話
編
歴
5世紀の十年紀と各年
《390年代
《400年
3世紀
4世紀
-
5世紀
-
6世紀
7世紀
501年》
510年代》
400年代
401年
402年
403年
404年
405年
406年
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500年代
500年
表
話
編
歴
世紀
と
千年紀
千年紀
世紀
紀元前
(BC)
BC11千年紀以前
-
BC10千年紀
-
BC9千年紀
-
BC8千年紀
-
BC7千年紀
-
BC6千年紀
-
BC5千年紀
BC4千年紀
BC40世紀
BC39世紀
BC38世紀
BC37世紀
BC36世紀
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紀元
(AD)
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1世紀
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