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紀元前5世紀
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"紀元前5世紀"
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(
2013年5月
)
千年紀
:
紀元前1千年紀
世紀
:
前6世紀
-
紀元前5世紀
-
前4世紀
パルテノン神殿
。
アテナイ
の
アクロポリス
に建つ
アテナ
女神に捧げられた神殿で、ペルシア戦争に勝利した後に、将軍
ペリクレス
によって再建がなされ、今あるような姿となった。
デロス島
。全盛期のアテナイはこのデロス島に金庫を置いて
デロス同盟
を支配した。画像は紀元前7世紀にナクソス人が奉納したと伝わるデロス島のライオンの回廊(レプリカ)。
ギリシア悲劇
の黄金時代。繁栄するアテナイでは
アイスキュロス
・
ソフォクレス
・
エウリピデス
ら悲劇詩人が活躍し、彼らの作品は多くの観衆の涙を誘った。画像はソフォクレスの悲劇でも有名な
オイディプス
と怪物
スフィンクス
を描いた赤絵式陶器。
「
ダイバーの墓
」。
マグナ・グラエキア
(イタリア南部)の都市
パエストゥム
の近郊で発見された墓で、この時代の風俗を描いた貴重な
フレスコ画
が残っている。
オドリュサイ王国
の勃興。現在の
ブルガリア
を拠点とする
トラキア人
の最初の統一国家が生まれたのは紀元前480年頃のことである。黄金による工芸に優れ多くの遺宝が残されている。画像は初代王テレス1世のものとされる黄金のマスク。
テルモピュライ
の悲劇。ペルシア戦争でスパルタ王
レオニダス1世
とその配下の兵士がペルシア軍100万人に対し300人で奮戦したが、刀折れ矢尽きて敢え無く玉砕した。画像はレオニダスの肖像彫刻として伝わる重装歩兵の大理石像 (スパルタ考古学博物館蔵)。
「万国の門」。ペルセポリスはダレイオス1世以後も拡張が続けられているが、その北西に設置されたのがこの門で、ペルシア語・エラム語・バビロニア語の三言語で君主
クセルクセス1世
と神
アフラ・マズダ
への礼讃が記され「クセルクセス門」とも呼ばれている。
釈迦成道の聖地
ブッダガヤ
。
八大聖地
の一つとされ、
大菩提寺
(マハーボーディー寺)には多くの信者が集まる。
儒家
の
孔子
。政治的には不遇だったが『
論語
』にまとめられたその教えは後世に大きな影響を与えた。画像は唐の
呉道玄
によるもの。
曾侯乙墓
。中国の
湖北省
随県で発見された戦国時代初期の墓で、青銅製の礼器の他に多くの副葬品が発掘された。画像は総重量2567kgで65個の鐘からなる
編鐘
で完全な形で残っており、現在は中国の一級文物となっている。
モンテ・アルバン
。
メキシコ
南部
オアハカ
にある
サポテカ文化
を代表する遺跡。紀元前5世紀までにはオアハカ盆地は政治的に統一され、「踊る人々の神殿」が着工された。画像は神殿前に置かれた「踊る人々」の石彫。
紀元前5世紀
(きげんぜんごせいき)は、
西暦
による
紀元前500年
から
紀元前401年
までの100年間を指す
世紀
。
できごと
紀元前500年代
紀元前5世紀頃が
弥生時代
の始まりと考えられていたが、
紀元前10世紀
まで遡る可能性が高まってきた。それにつれて、
縄文土器
時代の終わりも遡ることになる。
紀元前5世紀 -
スイス
の
ヌーシャテル湖
北岸にある
ラ・テーヌ遺跡
が形成される。
紀元前5世紀 - ローマ市の
ラピス・ニゲル
遺跡から出土した石碑文に最古級の
ラテン語
が書かれる。
紀元前5世紀 - ケルト系民族の
イベリア半島
進出により、先住民と混交し
ケルティベリア人
が形成される。
イベリア半島各地に残る「
ベラッコ
(
英語版
)
(家畜の石像)」はこの時代のもの。
紀元前5世紀 -
ナイジェリア
中央ジョス高原で初期鉄器文化の
ノク文化
が発展( -
2世紀
)。
紀元前5世紀 -
タジキスタン
の
オクサス川
中流域
タフティ・サンギーン
(
英語版
)
の神殿に「
オクサスの遺宝
(
英語版
)
(
大英博物館
蔵)」が奉納される。
紀元前5世紀 -
シベリア
の
パジリク古墳群
に「
ウコクの王女
」が埋葬される。
紀元前5世紀 - 中国
河南省
固始県
城北の
侯古堆1号墓
の被葬者が埋葬される。
紀元前500年頃 - メキシコの
オアハカ盆地
の
サン=ホセ=モゴテ
遺跡が放棄され、
モンテ・アルバン
が建設される。
モンテ・アルバンⅠ期を代表する「踊る人々の神殿」が建設され、
サポテカ文字
が出現。
紀元前500年頃 -
コロンビア
のシヌー川下流域に
シヌー文化
が成立する。
紀元前490年代
紀元前499年
-
イオニアの反乱
より
ペルシア
と
ギリシア
の間で
ペルシア戦争
が始まる( - 紀元前449年)。
紀元前498年
- 孔子が
魯
の
三桓氏
排斥に失敗して追放される。
紀元前497年
頃 -
紀元前489年
頃 -
山西省
侯馬晋城遺跡から出土した誓約文書「
侯馬盟書
」が書かれる。
紀元前496年
-
レギッルス湖畔の戦い
(第一次
ラティウム戦争
)で共和政ローマがラティウム人に勝利。
紀元前494年
ローマで
聖山
事件。この事件後に
プレブス
と
パトリキ
が和解。
平民会
と
護民官
が置かれる。
呉
王
夫差
が会稽で勝利し、
越
王
勾践
は降伏する(会稽の恥)。
紀元前490年
マラトンの戦い
で、
ミルティアデス
率いるギリシア軍がペルシア軍を破る。
斉
の
景公
が死去。
臨淄
(山東省
淄博市
)の「殉馬坑」はこの時のものか。
紀元前490年
頃
マガダ国
の
アジャータシャトル
王が都
パータリプトラ
を建設する。
紀元前480年代
紀元前487年 - アテナイの
アルコン
(最高官職)の選出方法が抽選となる。
紀元前486年 - アケメネス朝の
ダレイオス1世
が死去し、
クセルクセス1世
が即位。
ペルセポリス
の拡張工事を行い、
万国の門
(
英語版
)
(クセルクセス門)などを併設。
紀元前482年 -
呉
王
夫差
による黄地の会盟。この最中に
越
が呉を攻撃する。
紀元前483年 - アテナイで
アッティカ
地方の
ラウリオン
銀山の銀の使用方法が討議される。
この銀を用いてアテナイのテミストクレスは
三段櫂船
(トライリーム)100隻の建造を決議させる。
紀元前481年
シチリア
島の
エトナ山
が噴火( - 紀元前460年)。
斉の田恒(田成子)がその君簡公壬を殺す。斉の実権が事実上田氏に移る。
この年で
魯
の年代記『
春秋
』の筆がおかれる(魯の哀公14年・
獲麟
)。
紀元前480年
テルモピュライの戦い
でペルシア軍が
レオニダス
王率いる
スパルタ
軍を全滅させる。
同じ頃、
アルテミシオンの海戦
でもギリシア軍は撤退。ペルシア軍は
アテナイ
に侵攻し全土を蹂躙する。
サラミスの海戦
で
テミストクレス
率いるギリシア軍がペルシア軍に勝利。
ヒメラの戦い
で
シュラクサイ
僭主
ゲロン
が
カルタゴ
将軍
ハミルカル1世
に勝利。
この勝利を記念して
アクラガス
の僭主
テロン
は
ゼウス・オリンピア神殿
を建立。
紀元前470年代
紀元前479年
プラタイアの戦い
と
ミュカレの戦い
にギリシア軍が勝利し、ペルシアの侵攻が頓挫する。
「
ペンテコンタエティア
(
英語版
)
」と呼ばれる「50年間の休戦期間」が始まる。
ギリシア側の勝利を記念して
デルポイ
に「
青銅の蛇の柱
(
英語版
)
(現在は
イスタンブル考古学博物館
蔵)」が設置される。
孔子が死去し、
曲阜
の城北の
泗水
のほとりに葬られる。
紀元前478年 - アテナイを盟主とする
デロス同盟
が結成される( - 紀元前404年)。
この時期のアテナイを「アテナイ海上帝国」とも呼ぶ。一方でスパルタはギリシアでの指導権を放棄し内向化。
紀元前474年 -
クマイの戦い
で、
シュラクサイ
の
僭主
ヒエロン1世
が
エトルリア
に勝利し、
ティレニア海
の制海権を握る。
紀元前473年 - 越王勾践が都の
姑蘇
を陥落させ、呉王夫差を自殺に追い込み、呉を滅ぼす。
紀元前472年 -
徐州会盟
(
中国語版
)
により越王勾践が覇者となる。
紀元前471年 - アテナイと
ピレウス
を結ぶ「
テミストクレスの壁
(
英語版
)
(マクラ・テイケー)」が建設される。
紀元前470年頃
テミストクレスが
陶片追放
によりアテナイから
アルゴス
に亡命。
「
デルポイの御者
(
英語版
)
」が作られる(デルポイ博物館蔵)。
イタリア南部
パエストゥム
の「
ダイバーの墓
」が作られ「饗宴」の壁画が描かれる。
イタリア中部
タルクィニア
の「
豹の墓
(
英語版
)
」が作られ「饗宴」の壁画が描かれる。
紀元前460年代
紀元前468年 - 越王勾践が都を
瑯琊
に遷す。
紀元前466年
鳥海山
が噴火し、大規模な
山体崩壊
を引き起こす。
エウリュメドン川の戦い
でギリシア軍がペルシア軍に勝利。
紀元前465年 - ペルシア王
クセルクセス1世
が側近
アルタバノス
(
英語版
)
に暗殺される。
紀元前464年 -
スパルタ地震
によりメッセニア人がスパルタ人に蜂起、
第三次メッセニア戦争
が起こる。
紀元前462年 -
ペリクレス
がエフィアルテスとともに
アレオパゴス会議
から実権を奪う。
アテナイの政治の中心は
民会
(エクレシア)と
評議会
(ブーレ)に移行する。
紀元前461年 -
第一次ペロポネソス戦争
が起こる( - 紀元前445年)。
紀元前460年頃 -
アルテミシオンの青銅神像
(
英語版
)
(アテネ国立考古学博物館蔵)が作られる。
紀元前450年代
紀元前456年 -
イキリウス法
(
イタリア語版
)
の制定により
アウェンティヌス丘
が平民居住区に開放される。
紀元前454年 - デロス同盟の金庫がデロス島からアテナイに移される。
紀元前453年 -
晋陽の戦い
で
智瑶
が敗北、
晋
が
趙
・
韓
・
魏
に分裂。
紀元前451年
共和政ローマで執政官に代わり
十人委員会
が組織される。
十人委員会により共和政ローマの最古の法である
十二表法
が制定される。
この年に十条が制定され、翌年に二条が追加される。
アテナイで両親ともにアテネ出身者にのみ市民を限定する
市民権法
を制定。
紀元前450年頃
アルプス以北の中央ヨーロッパで
ラ・テーヌ文化
広がる。
クレタ島
で婚姻や財産の規則をまとめた
ゴルテュス法典
が成立。
カルタゴ人の
航海者ハンノ
が西アフリカ湾岸地域を航海し象牙海岸まで達する。
紀元前440年代
紀元前449年 -
カリアスの和約
。
紀元前447年 - アテナイの
パルテノン神殿
着工。
紀元前445年
ペルシアの
アルタクセルクセス1世
の許可を得てユダヤ総督ネヘミヤがエルサレムの城壁の再建を行う。
共和政ローマで
カヌレイウス法
を制定。
紀元前444年 - ペリクレスがアテナイの
ストラテゴス
(将軍)に選出され、以後これが15年近く続く(ペリクレス時代 - 紀元前430年)。
紀元前440年頃 - 「
エレウシス
の浮彫」(アテネ国立考古学博物館蔵)が作られる。
紀元前430年代
紀元前438年 -
スパルタコス1世
が自立し
ボスポロス王国
が成立する。
紀元前433年 - コリントス系の娘市
エピダムノス
と母市
ケルキュラ
の紛争。
アテナイと組んだケルキュラがコリントスと衝突する
シュボタの海戦
が起こる。
紀元前433年頃 -
曾侯乙墓
の被葬者が埋葬される。
紀元前431年 - 第二次
ペロポネソス戦争
が起こる( - 紀元前404年)。
アテナイのペリクレスによる「
戦没者追悼演説
(
英語版
)
」が行われる。
紀元前420年代
詳細は「
紀元前420年代
」を参照
紀元前429年 -
アテナイで疫病の流行
(
英語版
)
。
アテナイで籠城中のペリクレスが死去。
クレオン
がアテナイの指導者となる。
紀元前428年 -
ミュティレネの反乱
。
紀元前422年 -
アンフィポリス
の戦いでアテナイが敗北し総司令官クレオンが戦死する。
紀元前421年 -
ニキアスの和約
。
紀元前410年代
紀元前416年 - アテナイ軍による
メロス島
攻略(
メロス包囲戦
)。
紀元前415年 - アテナイがシチリア遠征軍を派遣する。
アテナイで
ヘルメース
像破壊事件、遠征途上で総指揮官
アルキビアデス
がスパルタに亡命。
紀元前414年 -
白狄
による
中山国
が成立する。
紀元前413年 - シチリアのシュラクサイの戦いでアテナイ軍が敗北し、アテナイ軍の
ニキアス
や
デモステネス
が処刑される。
紀元前411年
アンティポン
らによりアテナイに
四百人寡頭政権
(
英語版
)
が建てられるが、民主派に打倒される。
アリストパネス
の
喜劇
『
女の平和
(リューシストラテー)』が上演される。
紀元前400年代
紀元前408年
アテナイの
アクロポリス
の
エレクテイオン
が完成する。
魏の
文侯
が陽狐の戦い(河西の戦い)で秦から河西(黄河の西)を奪う。
紀元前405年 -
アイゴスポタモイの戦い
でペロポネソス同盟がアテナイに勝利。
紀元前404年 - アテナイがペロポネソス同盟に降伏し、第二次ペロポネソス戦争終結。
スパルタの主導でアテナイに
三十人僭主政権
が建てられる。
フリュギア
に亡命中のアルキビアデスが太守
ファルナバゾス
に暗殺される。
紀元前403年
- 趙・韓・魏が
周
王より諸侯として認定される。
これより
中国
は
戦国時代
に入る。また
司馬光
の『
資治通鑑
』はこの年より記述が始まる。
紀元前403年 -
トラシュブロス
率いる民主派がアテナイの三十人僭主政権を打倒する。
紀元前401年 -
クナクサの戦い
でペルシア王
アルタクセルクセス1世
が反乱を起こした弟の
小キュロス
を倒す。
小キュロス配下のギリシア人傭兵軍団は
クセノポン
らの指揮のもとペルシアからの脱出を敢行。『
アナバシス
』に記録が残る。
紀元前400年前後
「
トーディのマルス
(
英語版
)
像(ヴァティカン・グレゴリアーノ・エトルリア美術館蔵)」が作られる。
中国人
が
磁鉄鉱
に
指極性
がある事を発見し、
磁気コンパス
を発明した。磁気コンパスは、
占い
に使用された
。
人物
中国(周・春秋時代)
老子
(生没年不詳) - 春秋時代の周出身の思想家(
道家
)・
孔子
とほぼ同時期か先行するか・架空人物説もあり
左丘明
(生没年不詳) - 春秋時代の
魯
の著述家・孔子に前後して活躍か・『
春秋左氏伝
(左伝)』『
国語
』の著者か
孔子
(
前551年
-
前479年
) - 春秋時代の魯の思想家(
儒家
)・諸国遍歴後に教育に携わる・言行録に『
論語
』がある
孔門十哲
冉伯牛
(
前544年
- ?) - 春秋時代の
儒者
・孔門十哲の一人・徳行に優れる
子路
(季路)(
前543年
-
前481年
) - 春秋時代の儒者・孔門十哲の一人・衛の高官となるが横死・
二十四孝
の一人
閔子騫
(
前536年
-
前487年
) - 春秋時代の儒者・孔門十哲の一人・
二十四孝
の一人
子貢
(端木賜)(
前520年
-
前446年
) - 春秋時代の儒者・孔門十哲の一人・魯の外交担当になる
顔回
(
前514年
-
前483年
) - 春秋時代の儒者・孔門十哲の一人・孔子に将来を期待されるが早世する
子夏
(卜商)(
前504年
頃 -
前420年
頃) - 春秋時代の儒者・孔門十哲の一人・魏の文侯に仕え李克や西門豹を育成
霊公
(
前540年
-
前493年
) - 春秋時代の衛の君主(在位
前534年
-
前493年
)・
弥子瑕
や南子の寵愛で有名・『論語』にその名が残る
闔閭
(? -
前496年
) - 春秋時代の呉の王(在位
前514年
-
前496年
)・越王勾践に敗れ夫差に復讐を誓わせる
夫差
(? -
前473年
) - 春秋時代の呉の王(在位
前495年
-
前473年
)・
春秋五覇
の一人・父王の仇である越王勾践を捕虜とする
勾践
(? -
前465年
) - 春秋時代の越の王(在位
前496年
-
前465年
)・春秋五覇の一人・
范蠡
の補佐を得て呉を滅ぼす
伍子胥
(? -
前485年
) - 春秋時代の呉の
政治家
・
軍人
・
闔閭
と夫差に仕え越王
勾践
を捕虜とする・後に夫差に自殺を命じられる
孫武
(
前535年
- ?) - 春秋時代の呉の思想家(
兵家
)・
兵法書
『
孫子
』の著者・伍子胥とともに
楚
を攻撃
范蠡
(生没年不詳) - 春秋時代の越の政治家・軍人・越王勾践に仕え伍子胥とは知略で争う・呉の滅亡後は越から亡命する
西施
(生没年不詳) - 春秋時代の美女・越王勾践により呉王夫差を篭絡するために送り込まれる・
中国四大美人
の一人
申包胥
(生没年不詳) - 春秋時代の楚の政治家・伍子胥とは旧友であったが後に離反・柏挙の戦いで呉に敗北した楚を立て直す
田恒
(田成子)(生没年不詳) - 春秋時代の斉の政治家・闞止と簡公を殺害し平公を擁立・事実上の斉での田氏支配が始まる
公輸盤
(
前507年
-
前444年
) - 春秋時代の魯の工匠・『墨子』『淮南子』では攻城具や兵器を開発し名匠として崇められる
曾子
(
前506年
- ?) - 春秋時代の儒者・『
孝経
』の著者・弟子に子思や
呉起
(後に破門)がいる
子思
(
前483年
? -
前402年
?) - 春秋時代の儒者・孔子の孫で
曾子
の弟子・『
中庸
』の著者か
趙無恤
(? -
前425年
) - 春秋時代の晋の政治家・
六卿
の中で政敵だった
智瑶
を倒し魏や韓とともに晋から独立
文侯
(? -
前396年
) - 春秋戦国時代の魏の君主(在位
前445年
-
前396年
)・正式に晋から独立し諸侯に封じられる
西門豹
(生没年不詳) - 春秋戦国時代の魏の政治家・子夏の弟子・文侯に仕え迷信を排し治水土木を行った故事で有名
李克
(李悝)(? -
前395年
) - 春秋戦国時代の魏の政治家・子夏の弟子・文侯に仕え成文法を定め富国強兵を進める
墨子
(
前450年
-
前390年
頃?) - 戦国時代の思想家(
墨家
)・『墨子』の著者・「兼愛」「交利」「尚賢」「非攻」の思想で有名
地中海世界
ギリシア
ミレトスのヘカタイオス
(
前550年
頃 -
前476年
頃) - 年代記作者(
ロゴグラポス
)・神話と歴史の分離を主張・
イオニアの反乱
で大使を務める
アリスタゴラス
(生没年不詳) -
ミレトス
の指導者・イオニアの反乱の黒幕となりペルシア帝国に抵抗・ギリシアの諸ポリスを紛争に巻き込む
シモニデス
(
前556年
頃 -
前468年
) - ケオス島出身の
抒情詩
人・
九歌唱詩人
の一人・ペルシア戦争での勝利を歌う・
記憶術
でも有名
ミルティアデス
(
前550年
頃 -
前489年
) - アテナイの軍人・
ケルソネソス
の
僭主
・マラトンの戦いでペルシア軍を破る
パルメニデス
(
前540年
頃 - ?) -
エレア派
の哲学者・
ゼノン
の師で
プラトン
の
イデア論
にも影響・教訓詩『自然について』断片が残存
ヘラクレイトス
(
前540年
頃 -
前480年頃
?) -
エペソス
出身の哲学者・万物の根源を「火」とし「万物流転」を唱える
レオニダス1世
(? -
前480年
) -
スパルタ
王(在位
前489年
-
前480年
)・テルモピュライの戦いでスパルタ人300人と玉砕を遂げる
アリステイデス
(
前530年
-
前468年
) - アテナイの政治家・テミストクレスの政敵・陶片追放にも遭うが「正義の人」と称される
アイスキュロス
(
前525年
-
前456年
) - アテナイの
悲劇作家
・三大悲劇詩人の一人・作品に『
縛られたプロメテウス
』などがある
テミストクレス
(
前524年
/
前520年
頃 -
前459年
/
前455年
頃) - アテナイの政治家・軍人・サラミスの海戦でペルシア軍に勝利する
パウサニアス
(? -
前470年
) - スパルタの王族・
レオニダス1世
の甥・ギリシア連合軍を率いプラタイアの戦いで勝利する
ミレトスのヒッポダモス
(生没年不詳) - ギリシア人の都市計画家・ミレトスやピレウスの都市計画に関与し
アーバニズム
の先駆者となる
バッキュリデス
(
前520年
頃 -
前450年
) - ケオス島出身の詩人・九歌唱詩人の一人・『
ディテュランボス
』や多数の
祝勝歌
で有名
ピンダロス
(
前522年
/
前518年
-
前442年
/
前438年
)・
テーバイ
出身の詩人・九歌唱詩人の一人・祝勝歌「ピュティア勝利歌」が有名
カリアス2世(生没年不詳) - アテナイの政治家・ペルシア王
アルタクセルクセス1世
との
カリアスの和約
でペルシア戦争を終結
キモン
(
前510年
-
前450年
) - アテナイの政治家・将軍・デロス同盟によるアテナイの海上覇権(アテナイ帝国)を現出させる
プロタゴラス
(
前500年
? -
前430年
?) - アテナイの弁論家・
ソフィスト
の一人・「万物の尺度は人間」の
相対主義
で知られる
アナクサゴラス
(
前500年
頃 -
前428年
頃) -
クラゾメナイ
出身でアテナイで活躍した哲学者・多元論を唱える・
ペリクレス
は弟子
ソポクレス
(
前496年
-
前406年
) - アテナイの悲劇作家・三大悲劇詩人の一人・作品に『
オイディプス王
』などがある
アテナイのエフィアルテス
(
英語版
)
(? -
前461年
) - アテナイの政治家・ペリクレスらとともにキモンを追放し
アレオパゴス会議
の実権を奪う
ペリクレス
(
前495年
頃 -
前429年
) - アテナイの政治家・キモンを追放し将軍として実権を握り全盛期のアテナイを指導
エレアのゼノン
(
前490年
頃 -
前430年
頃) - エレア派の哲学者・
パルメニデス
の弟子・「アキレスと亀」の
ゼノンのパラドックス
で有名
エンペドクレス
(
前490年
頃 -
前430年
頃) - アクラガス出身の哲学者・四元素説を唱えた・エトナ山から投身したか
ペイディアス
(
前490年
頃 -
前430年
頃) - アテナイの彫刻家・建築家・ペリクレスと知己で
パルテノン神殿
造営の総監督を務める
ポリュクレイトス
(生没年不詳) -
アルゴス
派の彫刻家・ペイディアスと並び古典主義様式を確立・「ドリュポーロス(槍を持つ人)」他がある
ゴルギアス
(
前487年
-
前376年
) -
レオンティノイ
出身でアテナイで活躍した弁論家・ソフィストの一人・プラトンが『
ゴルギアス
』を執筆
ヘロドトス
(
前485年
頃 -
前425年
頃) -
ハリカルナッソス
出身の
歴史家
・ペルシア戦争をもとに『
歴史
』を著し「歴史の父」と呼ばれる
クレオン
(? -
前422年
) - アテナイの政治家・もとは靴製造業者・ペリクレス没後の
衆愚政治
時代の
デマゴーグ
とされる
エウリピデス
(
前480年
頃 -
前406年
頃) - アテナイの悲劇作家・三大悲劇詩人の一人・作品に『
メディア
』などがある
ミュロン
(
前480年
頃 -
前445年
) -
アッティカ地方
エレウテライ出身の彫刻家・「円盤を投げる人(ディスコボロス)」が有名
ソクラテス
(
前469年
頃 -
前399年
) - アテナイの哲学者・対話を通じて「
無知の知
」を探求・弟子にプラトンや
クセノポン
・死刑にされる
アスパシア
(
前470年
-
前400年
) - ミレトス出身の女性・将軍ペリクレスの愛人・小ペリクレスの母・ソクラテスとも交渉があった
クリティアス
(
前460年
頃 -
前403年
) - アテナイの政治家・ソクラテスの弟子・アテナイの三十人政権の指導者となる
ヒポクラテス
(
前460年
-
前370年
頃) -
エーゲ海
の
コス島
出身の医師・迷信を排し
四体液説
を唱え「医学の父」と呼ばれる
デモクリトス
(
前460年
頃 -
前370年
頃) -
アブデラ
出身の哲学者・
レウキッポス
の弟子で
原子論
を大成する
ニキアス
(
前460年
頃 -
前413年
) - アテナイの政治家・ペロポネソス戦争の和平派でニキアスの和約を結ぶがシチリア遠征に失敗
トゥキディデス
(
前460年
頃 -
前395年
) - アテナイの軍人・ペロポネソス戦争を指揮・後に歴史家としてこの戦争の記録『
戦史
』を執筆
ヘルモクラテス
(
前450年
頃 -
前407年
) - シチリア島の
シュラクサイ
の政治家・ペロポネソス戦争での反アテナイ陣営で活躍
アルキビアデス
(
前450年
頃 -
前404年
頃) - アテナイの政治家・ペロポネソス戦争の主戦派・シチリア遠征を前に逃亡
アギス2世
(? -
前401年
/
前400年
) - スパルタ王(在位
前427年
-
前401年
/
前400年
)・ペロポネソス戦争に勝利し覇権を握る
アリストパネス
(
前446年
-
前385年
) - アテナイの
喜劇
作家・ペロポネソス戦争への批判をこめた『
女の平和
』などで知られる
共和政ローマ
アグリッパ・メネニウス・ラナトゥス(? -
前493年
) - ローマの
執政官
(在任
前503年
)・聖山事件でプレブスをパトリキを和解させる
グナエウス・マルキウス・コリオラヌス
(
前519年
頃 - ?) - ローマの将軍・ウォルスキ人と戦う・
シェークスピア
悲劇『
コリオレイナス
』のモデル
ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス
(生没年不詳) - ローマの
独裁官
(在任
前458年
、
前439年
)・
アエクイ族
らを斥ける
アッピウス・クラウディウス・クラッスス(生没年不詳) - ローマの執政官(在任
前451年
)で
十人委員会
の一人・
十二表法
を制定
ガイウス・カヌレイウス(生没年不詳) - ローマの
護民官
(在任
前445年
)・貴族と平民の結婚を認めるカヌレイウス法を制定
マルクス・フリウス・カミルス
(
前446年
-
前365年
) - ローマの軍人・
ケルト人
を追い払い「ローマ第二の創建者」と呼ばれる
西アジア世界
ダレイオス1世
(
前558年
-
前486年
頃) -
アケメネス朝
ペルシア王(在位
前521年
-
前486年
)・王国の最盛期で
ペルセポリス
を造営
クセルクセス1世
(
前519年
-
前465年
) - アケメネス朝ペルシア王(在位
前486年
-
前465年
)・ペルシア戦争に敗北する
マルドニオス
(? -
前479年
) - アケメネス朝ペルシアの将軍・クセルクセス1世の従兄弟・アテナイを破壊したがプラタイアイの戦いで敗死
ダレイオス2世
(? -
前405年
) - アケメネス朝ペルシア王(在位
前424年
-
前405年
)・ペロポネソス戦争ではスパルタと手を結ぶ
アルタクセルクセス2世
(
前430年
頃 -
前359年
頃) - アケメネス朝ペルシア王(在位
前404年
-
前359年
頃)・弟
小キュロス
の反乱鎮圧
クニドスのクテシアス
(生没年不詳) - ペルシア王アルタクセルクセス2世の侍医・『ペルシア誌』『インド誌』などの著作で知られる
小キュロス
(?-
紀元前401年
) - アケメネス朝ペルシアの王子でサルディス総督・兄
アルタクセルクセス2世
に反乱を起こすが戦死
エズラ
(生没年不詳) - エルサレムの律法書記官・
バビロン捕囚
から解放されたユダヤ人を指導し律法を復興・『
エズラ記
』に詳しい
ネヘミヤ(生没年不詳) - ペルシアの総督・バビロン捕囚から帰還したユダヤ人とエルサレム城壁を再建・『
ネヘミヤ記
』に詳しい
エステル
(生没年不詳) - 旧約聖書の伝承ではペルシア王アハシュエロス(クセルクセス1世)の王妃・ユダヤ人を救い
プリム祭
の起源となる
南アジア
ゴータマ・シッダッタ
(シャカ)(
前463年
-
前383年
、生没年は諸説あり) -
仏教
の開祖・釈迦(釈尊)や
仏陀
とも呼ばれる
マハーヴィーラ
(シャカと同時代) -
ジャイナ教
の開祖・
ヴァルダマーナ
やニガンダとも呼ばれる・仏典では
六師外道
の一人
マッカリ・ゴーサーラ
(シャカと同時代) - インドの
アージーヴィカ教
の開祖・仏典では六師外道の一人・厳格な決定論と宿命論が特徴
アジタ・ケーサカンバリン
(シャカと同時代) - インドの
チャールヴァーカ
派(
順世派
)の思想家・仏典では六師外道の一人・唯物論と快楽主義が特徴
サンジャヤ・ベーラッティプッタ
(シャカと同時代) - インドの
懐疑論
者・仏典では六師外道の一人・
サーリプッタ
らの師であったと伝わる
プーラナ・カッサパ
(シャカと同時代) - インドの道徳否定論者・仏典では六師外道の一人・因縁や業を否定し善悪の区分を否定した
パクダ・カッチャーヤナ
(シャカと同時代) - インドの七要素論者・仏典では六師外道の一人・チャールヴァーカ派の四要素論を発展させたものか
ビンビサーラ
(シャカと同時代) - インドの
マガダ国
の王・
アジャータシャトル
は息子・深く仏教に帰依し釈迦に対し
竹林精舎
を寄進
アジャータシャトル
(シャカと同時代) - インドのマガダ国の王・仏典では
デーヴァダッタ
の教唆で父王
ビンビサーラ
を殺害し王となる
プラセーナジット
(シャカと同時代) - インドの
コーサラ国
の王・第一夫人
マッリカー
は『
勝鬘経
』でジェータ太子は
祇園精舎
寄進で有名
ヴィドゥーダバ
(シャカと同時代) - インドのコーサラ国の王・
プラセーナジット
の子でジェータ太子の兄弟・シャカ族を滅ぼす
マハーカッサパ
(生没年不詳) - 仏教第2祖・
釈迦十大弟子
の一人で頭陀第一と言われる・第1回
仏典結集
を指導・漢訳では摩訶迦葉
アーナンダ
(生没年不詳) - 仏教第3祖・釈迦十大弟子の一人で多聞第一と言われ第1回
仏典結集
でも活躍・漢訳では阿難陀
架空のできごと
紀元前5世紀 - 2000年10月に
パキスタン
の
バローチスターン州
カーランで発見された
アケメネス朝
時代のミイラは、古代エジプト式のミイラで胸には金のプレートがあり、そこに刻まれた銘文によると、この女性はアケメネス朝の王
クセルクセス1世
の娘ロードゥグーネ(Rhodugune)と記されていたため「
ペルシャ・プリンセス
」の別名がつけられた。早速2000年11月には
カラチ
の
パキスタン国立博物館
(
英語版
)
でこのミイラの展示が始まった(後の調査によりこのミイラは現代の偽物であるばかりか、1990年代に何らかの殺人事件に巻き込まれた被害者の遺体であることも発覚した)。
紀元前5世紀 -
函谷関
の関所の役人(関令)
尹喜
に『
道徳経
』を授けた後、隠棲するため牛に乗って西方へと姿を消した
老子
は、実は西方の胡地に赴いて胡人を教化するためにその地で
仏教
を興していたのである。従ってインドの
仏陀
(浮屠)とは老子の変化した姿に他ならない(
西晋
の
道士
王浮の偽経『
老子化胡経
』)。
出典
^
チャロナー 2011
, p. 110「磁気コンパス 中国人が、磁気コンパスを発明する。」
参考文献
ジャック・チャロナー(編集)、2011、『人類の歴史を変えた発明 1001』、ゆまに書房
ISBN
978-4-8433-3467-6
関連項目
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