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バイエルン・ミュンヘンでのミュラー (1973年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ゲルハルト・ミュラー Gerhard Müller | |||||
愛称 | Der Bomber (爆撃機) | |||||
ラテン文字 | Gerd Müller | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1945年11月3日 | |||||
出身地 | ネルトリンゲン | |||||
没年月日 | 2021年8月15日(75歳没) | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1958-1963 | TSV1861ネルトリンゲン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1963-1964 | TSV1861ネルトリンゲン | 31 | (51) | |||
1964-1979 | バイエルン・ミュンヘン | 453 | (398) | |||
1979-1980 | フォートローダーデール・ストライカーズ | 71 | (38) | |||
1980-1981 | スミス・ブラザーズ | 42 | (33) | |||
通算 | 597 | (520) | ||||
代表歴 | ||||||
1966 | 西ドイツ U-23 | 1 | (1) | |||
1966-1974 | 西ドイツ | 62 | (68) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ゲルハルト・"ゲルト"・ミュラー(Gerhard "Gerd" Müller、1945年11月3日 - 2021年8月15日)は、ドイツ・ネルトリンゲン出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
抜群の得点感覚とポジショニングで泥臭いゴールを得意とし、どんな体勢からでもゴールを奪った。驚異的な数の得点を量産し、デア・ボンバー(爆撃機)と呼ばれた。バイエルンでは通算515ゴールを決め、クラブ歴代最多ゴール数の記録を保持している。
1963年、地元のクラブ・TSVネルトリンゲンでデビュー。ここでの活躍がスカウトの目に留まり、翌シーズンにはバイエルン・ミュンヘンと契約。在籍15年間で4回のリーグ優勝(1969 / 72 / 73 / 74年)、7回の西ドイツ・ブンデスリーガ得点王(1967 / 69 / 70 / 72 / 73 / 74 / 78年)、チャンピオンズカップ優勝3回(1974 / 75 / 76年)、カップウィナーズカップ優勝1回(1967年)、西ドイツカップ優勝4回(1966 / 67 / 69 / 71年)、ブンデスリーガ 通算427試合365得点の成績を残した。
1979年、西ドイツを後にしてアメリカへ渡り、フォートローダーデール、スミス・ブラザーズに所属した後、1982年に現役を引退した。
引退後は一時期アルコール依存症に苦しんだ時期があったが、旧知の仲であるバイエルン・ミュンヘンのウリ・ヘーネスGMやフランツ・ベッケンバウアー会長、ゼップ・マイヤーGKコーチの助けもあり、アルコール依存症を克服。同クラブの育成部門でアシスタントコーチなども務めた。
1992年から2014年まで、バイエルン・ミュンヘンサテライトチームのアシスタントコーチを務めていた。
2015年10月、アルツハイマー病に罹患しており、同年2月から専門的な治療を受けていることをバイエルン・ミュンヘンが発表した。
2021年8月15日、早朝に亡くなったことをFCバイエルン・ミュンヘンが発表した。75歳没。
2022年、バロンドールの開催者として知られるフランス・フットボールがそのシーズンの得点王を表彰するゲルト・ミュラー・トロフィーを新設した。
1966年10月12日 vsトルコ戦で代表デビュー、無得点に終わるが2戦目のアルバニア戦では4ゴールを挙げた。
1970年メキシコワールドカップではグループリーグのブルガリア戦、ペルー戦でハットトリックを決め、準決勝のイタリア戦で2ゴールを決めるなど(3位決定戦となったウルグアイ戦以外の全ての試合でゴールを決めた。)、10得点で大会得点王を獲得した。
1974年西ドイツワールドカップでは、オランダとの決勝戦で決勝ゴールを決めるなど、4得点3アシストを挙げた。ワールドカップ通算14ゴールは、ブラジル代表のロナウドが2006年ドイツワールドカップで塗り替えるまでは、32年間歴代最多記録であった(2014年現在歴代3位。2010年南アフリカ大会でドイツ代表の後輩となるミロスラフ・クローゼに並ばれた。クローゼは2014年ブラジル大会で通算16得点とし、最多記録保持者となっている)。
1972年の欧州選手権では決勝のソビエト戦で2ゴールを挙げるなど、4得点を記録し、得点王に輝く活躍でチームを優勝へ導いた。なお、1974年決勝オランダ戦を最後に28歳で代表を引退した。