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ネグロイド人種 コーカソイド人種 オーストラロイド人種 モンゴロイド人種
Meyers Konversations-Lexikon (1885–1890) 人種の分布地図
コーカソイド (Caucasoid, Caucasian)とは、身体的特徴に基づく歴史的人種 分類概念の一つである。これに分類される人々の主要な居住地はヨーロッパ 、北アフリカ 、西アジア (北部)、中央アジア 、インド (北部)である(歴史的な混血を含む)。
元来は、コーカソイドとは、カスピ海 と黒海 に挟まれたところに位置する「コーカサス 」(カフカース地方)に「…のような」を意味する接尾語の「 -oid」 をつけた造語で、「コーカサス出自の人種」という意味である。
由来
元々はドイツ の哲学者クリストフ・マイナース が提唱した用語であった。その影響を受けたドイツの医師ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハ は生物学 上の理論として五大人種説 を唱え、ヨーロッパに住む人々を「コーカシア」と定義した。ジョルジュ・キュヴィエ はヨーロッパ人とアラブ人 をコーカソイドに分類し、その高弟アンドレ・デュメリル もコーカソイドをアラブ・ヨーロッパ人とした 。
人類学が成立したヨーロッパはキリスト教圏であり、ユダヤ ・キリスト教 に由来する価値観が重んじられていた。ヨーロッパのキリスト教徒にとって、『創世記 』のノアの方舟 でアララト山 にたどり着いたノア の息子たちは現在の人類の始祖であった。人類学の父とされるブルーメンバッハをはじめとするヨーロッパ人学者たちは、アララト山のあるコーカサスに関心を抱いていた 。また、『旧約聖書 』の創世記1〜6章では、白い色は光 ・昼・人・善を表し、黒い色は闇 ・夜・獣・悪を表していた 。
定義とその変遷
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コーカソイドとはヨーロッパ人がキリスト教的価値観に基づいて自己を定義するために創出された概念である。
戦後しばらくまでの人類学は科学 的根拠に乏しい、偏見 や先入観に満ちた内容であることが多く、人種差別 的な思想を多分に含んでいた。事実、提唱者であるブルーメンバッハもさまざまな人間の集団の中で「コーカサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しい、人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと考えていた 。つまり最初の時点で白人至上主義 的な考えが基盤に存在していたのである。その後、他の人類学者によって(白人 が他に優越しているという原則の上で)コーカソイドをさらに細分化しての分類が試みられた。ウィリアム・Z・リプリー による北方人種 ・地中海人種 ・アルプス人種 の三分類などが有名である他、東ヨーロッパ人種 ・ディナール人種 という分類も存在する。
初期の人類学の人種判別は外見の違い(特に肌の色 )による判断という、かなり原始的な考察を頼りとしていた。また上述されている通りキリスト教への信仰心が深く関与している概念であり、風貌的に似通っていてもユダヤ教 やイスラム教 といった異教徒 である場合は意図的に範囲から除外された。
人種分類はその性質上、優生学 などの差別的な思想と結び付きやすく、実際にクー・クラックス・クラン やナチス のような勢力を生み出す遠因となった。そのため、現在の生物学における人種に関する研究は、現生人類は一種一亜種である という前提の上で慎重に行われている。あくまで人種とは現生人類の遺伝 的多様性の地域的・個体群的偏りに過ぎず、人種相互に明瞭な境界はないとする。
なお、近年の国際的な学会では、人種分類としてのコーカソイドという名称から、地域集団の一つとしての「西ユーラシア人 」という名称が一般的になりつつある(詳しくは人種 を参照)。それは後述のように、コーカソイドには濃い目の肌の色を持つ人々もいるためである。「コーカソイド」は、日本語中での用法は白人・白色人種のヨーロッパ風の表現として認識されることが多い。
特徴
セント・アンドルーズ大学 が発表した金髪 の分布図(2006年)。黄色は80%以上、明るいだいだい色は50%~79%、薄い黄土色は20%~49%、濃い黄土色は1%~20%の地域を指している。その他(こげ茶色)の部分は0%、つまり全く金髪が存在しないとされる。
Felix von Luschan による肌の色のカラーチャート
各地域における先住民の肌色(フェリックス・ルスチャン )
金髪 碧眼 のコーカソイドの女性
モンゴロイド やネグロイド にも言えるが、コーカソイドもまた非常に広い範囲に分布しているため、人種的特徴は一概に言えない。
眼
瞼 は二重の割合が98%である。その為平均的にモンゴロイドよりも顔の中で目の占める面積が大きい(目が大きい) 。
虹彩の色 が多種多様で最も暗い茶色から最も明るい青色まで幅広く存在する。
鼻
鼻が顔の中央にあり縦方向に大きいが横方向には狭い。このため、モンゴロイドと比べ平均的に正面から見た時に顔を占める鼻の面積が狭くなる(鼻幅が狭い)。
おでこ(眉間上部)より立体的に鼻が垂れ下がっている者が存在する。そのため目元がくぼんで見える。
頭部
個体差が大きい。
正面から見た時の大きさは小さい(いわゆる小顔)。
前額部 が突出している。
類人猿にみられる眼窩上隆起 の名残である眉上弓は盛り上がっており目に影がかかって窪んでいるように見える、いわゆる「彫りが深い」。
頭髪の色 が多種多様。メラニン色素形成は年齢によって変わるが、最も明るい金髪や赤毛から暗い黒髪まで存在する。また髪と虹彩の明るさは必ずしも関連しない 。
毛髪は丸くて細い。そのためウェーブ(天然パーマ・クセ毛)が多く、他人種と比べ白人男性は禿げやすい。
皮膚
体毛 や髭 が多いといった、ホモ・サピエンス の原型であるネグロイド よりかけ離れた遺伝的特徴を持つ。
肌の色は「白人」の名称の由来の一つではあるが、薄褐色~褐色の個体が最多数派を形成する。
もともと人類の皮膚色は濃かったのにもかかわらず(熱帯で産まれた人類は毛皮のかわりに紫外線から身体を保護するためにメラニン色素を沈着した)、白人がなぜ薄い皮膚色をしているのかについては諸説あるが、分子人類学 者の尾本恵一の説によれば、コーカソイドの祖先集団は約一万五千年前の後氷期 にインドから北西へ向かったが、当時の気候は氷河 の溶ける水分蒸発により曇り空が多く、太陽光線は弱かった。そのため過剰な紫外線から体を保護するメラニン色素 の厚い層は不要になった。一方、紫外線を浴びることが少ないと人類はビタミンD の不足に陥るため、紫外線の少ない環境下では、メラニン色素の産出にあずかる遺伝子の突然変異によって皮膚色が薄くなった個体・集団が有利となった。図にもあるようにヨーロッパにおける淡色頭髪の出現頻度が最も高い地域はスウェーデン やフィンランド などの北欧地域である 。
アポクリン腺 が多く、体臭 が強い。
体格
肩の位置が胸より後ろにあるために、大胸筋が前方へ突出しているように見える。
体格は個体差が大きい。
これも地域によって差があるが、概ねモンゴロイド系に属する諸民族の平均身長よりも高く、世界の平均身長上位30位は全て欧米で埋まっている 。しかし、中世東欧人の平均身長は150cm程度と低い、北部がコーカソイドであるインド の平均身長は低く、欧米の豊かな栄養状態など後天的な要素が大きいともいわれる(ただ、北インドの中部・南部の住民は小柄だが、これらの地域のインド人はドラヴィダ人 などと混血している。インド半島中南部のドラヴィダ系が多く住む地域から遠く、他の人種・民族との混血の度合いが低いインド・パキスタン 北部のパンジャブ人 などは比較的長身である)。
分布の歴史
アフリカ大陸 で誕生した現生人類 は、アラビア半島経由でユーラシア大陸 に進出し、大陸全域に居住地域を拡大する。このうちコーカソイドはユーラシア大陸のイラン付近から中東、ヨーロッパに移動していた人々の末裔である。クロマニョン人 はコーカソイドの直接の祖先と考えられる。
15世紀以降は特にヨーロッパ系コーカソイドが征服地への入植 により大きく居住地域を拡大し、世界的に拡散した。
遺伝的傾向
白人(コーカソイド)とアジア人(モンゴロイド)が混血した場合、顔の外見(形質)は白人(コーカソイド)の特徴が優性して遺伝する。
遺伝子
Y染色体ハプログループの拡散と人種
コーカソイドは出アフリカ 後にイラン 付近から中東 ・ヨーロッパ に至る「西ルート」をとった集団である。コーカソイド人種を特徴づけるY染色体ハプログループ としてG 、I 、J 、R などが挙げられる 。
伝統的な下位分類
他人種との関わり
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モンゴル帝国 の西進およびムガル帝国 の南進によって、東ヨーロッパやロシア および中央アジア 、南アジア の一部がモンゴロイドの支配下に置かれた。その際征服された地域では、顕著ではないものの混血 が認められる。ロシアは何百年もの間テュルク系国家(トゥラン人種)やモンゴルによって征服されたため混血は多かった。ただし、それらのモンゴロイドは遊牧民族であるため土着の農耕民より人口が少なく、さほど混血の影響は高くないともされる。
なお、ここでは中世 以前におけるコーカソイドと他人種との混血についてのみ記述し、大航海時代 以降のヨーロッパ人の移動に伴って生じた混血についてはここでは割愛する。
北アフリカ
アフリカ人 はネグロイド に分類されるが、北東部アフリカはサハラ砂漠 以南の西南部アフリカ(ブラックアフリカ)とは異なった遺伝子的特徴を持っている。スーダン南部に広がる大湿地帯のボトルネック効果 と中世以降のアラブ人による入植のためで、北アフリカの先住民であるベルベル人 (北部ハム人種 )はコーカソイド系に属すとされる 。ただし、ベルベル人など北アフリカの民族にはネグロイド 系のY染色体ハプログループE1b1b が高頻度でみられるなど、他のコーカソイドと異なる特徴もあり、ネグロイドとの混血が示唆される。
さらにエチオピア の主要民族であるソマリ族 (エチオピア人種 )も、古くからベルベル系とネグロイド系の混血で構成されている。
東欧
東欧 ではハンガリー人 (マジャール人 )がモンゴロイド (黄色人種)であるフン族 の子孫であるという説が存在する。また、ハンガリー語 は、モンゴロイド系のウラル語族 に属し、同じくモンゴロイド系のテュルク系民族との混血も多いとされる。ただ、ハンガリーという国名についてはフン族との関連を連想させるが、「ハンガリー」の語源については諸説あるものの、「フン族」との間に特別の因果関係はないと考えられている。フン族は離散集合を繰り返す部族連合体であり、全員が必ずしもモンゴロイド系とは言えないとする見方もある。ただ、フン族の首長アッティラ と会見したローマ 側の使節(ローマカトリック教会 の僧侶)による報告書では、「アッティラと彼を取り巻く将兵たちの目は小さくて、ひげが薄く、かつ身長も低く、胴長短足である」と記されていて、ヨーロッパ人 が初めて見たモンゴロイドが奇怪な容貌に見えたことと、タタール人 という言葉が、当時のキリスト教でいう「地獄のタルタロス」を連想させて、当時のヨーロッパ人が震撼し、恐怖心を一層つのらせたことが、今に伝えられた。それは、近代のヨーロッパをはじめとする白人社会における黄禍論 に繋がっている。また、ブルガリア のブルガリア人 は、モンゴロイドに属するテュルク系民族であるブルガール人 の血を引くとされる。
北欧
フィンランド人 (フィン人 とイングリア人 )やエストニア人 とサーミ人 とカレリア人 とリーヴ人 とヴェプス人 もハンガリー同様にモンゴロイド起源説が唱えられ、実際に父系遺伝子は北東アジア から東アジア 北部に起源を持つモンゴロイド系のハプログループN が中頻度~低頻度に見られる が、現在においてはハンガリー人(マジャール人)同様に、コーカソイドに区分されている。これは故郷から西進するにつれ現地のコーカソイドと著しく混合したため、もともと濃厚であったモンゴロイドの特徴を失ったためと考えられる。
南アジア
上記のムガル帝国による混血も含まれる。インド においては南部~スリランカ (シンハラ人 、タミル人 など)では、オーストラロイド である先住民のドラヴィダ人 が、東部ではモンゴロイド のムンダ人 が、北部のカシミール 地方でもチベット人 がコーカソイドのインド・アーリア人 との混血が古くからあった。そのため世界でも珍しい三人種混血地域となっている。また、ネパール 西部のタルー人 なども該当する。モルディブ でもインドネシア・マレー人種 (インドシナ人種 (古モンゴロイド 系)とオーストラロイドの混血人種)とドラヴィダ人とアラブ系 などがインド・アーリア人と混血している 。
北アジア(シベリア)
北アジア (シベリア )においてもウラル語族 のうちフィン・ウゴル系民族 の大部分がモンゴロイドとコーカソイドと古くから混血している(サモエード系 一部含む)。さらにテュルク系民族 のタタール 諸族もロシア系 など東スラヴ系 諸族との混血が古くからあり、西に行くほどテュルク系のコーカソイド種族が多い(モンゴル系民族 、ツングース系民族 一部含む) 。
中央アジア
中央アジア (新疆ウイグル自治区 含む)においてのトルキスタン に分布するテュルク系民族はモンゴロイド をベースにコーカソイドとの混血が古くからあった(タジク人 含む) 。
西アジア(西南アジア)
西アジア (西南アジア )では、トルコ のトルコ人 、アゼルバイジャン のアゼルバイジャン人 などが該当し、こちらも現在ではテュルク系のコーカソイド種族に分類される 。
東アジア(北東アジア)
東アジア (北東アジア )の北海道 ・樺太 ・千島列島 に住むアイヌ は、かつては白色人種に分類されることもあったが、大和民族 ・琉球民族 に最も近い古モンゴロイドとされた。
さらに、遣唐使 によって鑑真 の弟子でイラン系 (ペルシア系 )に属するソグド人 と見られる如宝 などが渡日して、鑑真に随伴して日本に帰化したことからソグド系の一部が日本人 と同化したともされる 。『続日本紀』には「波斯人」の李密翳 が日本に来て叙位を受けた記録があり、木簡で存在が確認された官吏の破斯清道 はペルシア人であるという説がある。
また、モンゴル人 やチベット人 などは古来よりコーカソイド系民族と隣接しているため、コーカソイド系の遺伝子も数%確認されている。
東南アジア
ミャンマー の南部モンゴロイド (新モンゴロイド とインドシナ人種の混血人種)であるミャンマー人 (ビルマ人 )はベンガル人 (インド・アーリア系)の一派ロヒンギャ人 と、タイ 南部とカンボジア およびシンガポール とマレーシア とブルネイ とインドネシア などに分布するインドネシア・マレー人種の一部でもインド・アーリア人との混血があった。さらに、フィリピン でもスペイン王国 の統治時代にスペイン人 とインドネシア・マレー人種の一部との混血があった(メスチーソ を参照) 。
脚注
^ 杉本淑夫「白色人種論とアラブ人 - フランス植民地主義のまなざし」(『白人とは何か? - ホワイトネス・スタディーズ入門』所収)
^ a b 文化人類学者の竹沢泰子は、自著『人種概念の普遍性を問う』でヨーロッパ人が自分たちを美しい白い肌の人とみなしたのは、白い色に対するこのような価値観に基づいているのではないかと指摘している。
^ 竹沢泰子『人種概念の普遍性を問う』他
^ アジア人と白人の角膜トポグラフィの比較
^ Frost, Peter (2006). “Why Do Europeans Have So Many Hair and Eye Colors?” . url: http://cogweb.ucla.edu/ep/Frost_06.html (citirano 2.4. 2007) . http://www.sscnet.ucla.edu/comm/steen/cogweb/ep/Frost_06.html .
^ 尾本恵市, 遺伝学普及会, 遺伝学普及会編集委員会『分子人類学と日本人の起源』裳華房〈ポピュラーサイエンス〉、1996年、82-83頁。ISBN 478538638X 。国立国会図書館書誌ID :000002506828 。
^ 世界の平均身長 www.kurabe.net/average_height のアーカイブ
^ 崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)
^ Interview Dr. Eduard Egarter-Vigl , Head of Conservation and Assistant to research projects of the Archaeological Museum in Bozen. From the Docu-Movie: "Ötzi, ein Archäologiekrimi" by Christine Sprachmann. TV-Broadcast by 3sat 10 August 2011 and br-alpha 13 September 2011.
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参考文献
関連項目
外部リンク