ほっかいどう 北海道 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
団体コード | 01000-6 | ||||
ISO 3166-2:JP | JP-01 | ||||
面積 |
83,422.23km2 | ||||
総人口 |
5,065,106人 (住民基本台帳人口、2024年3月31日) | ||||
人口密度 | 60.7人/km2 | ||||
隣接都道府県 | 青森県[注釈 1] | ||||
道の木 | エゾマツ、アカエゾマツ | ||||
道の花 | ハマナス | ||||
道の鳥 | タンチョウ | ||||
道民のうた |
行進曲「光あふれて」 ホームソング「むかしのむかし」 音頭「北海ばやし」 道民体操(どさんこ体操) | ||||
北海道庁 | |||||
知事 | 鈴木直道 | ||||
所在地 |
〒060-8588 北海道札幌市中央区北3条西6丁目1番地 北緯43度3分51.6秒 東経141度20分48.8秒 / 北緯43.064333度 東経141.346889度座標: 北緯43度3分51.6秒 東経141度20分48.8秒 / 北緯43.064333度 東経141.346889度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 面積には北方地域5,036.14km2を含む | ||||
ウィキポータル | 日本の都道府県/北海道 | ||||
ウィキプロジェクト |
北海道 | |
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2001年5月30日、地球観測衛星テラ搭載のMODISセンサにより撮影。 | |
所在地 | 日本 |
所属諸島 | 日本列島 |
面積 | 77,983.90 km² |
海岸線長 | 2,676 km |
最高標高 | 2,291 m |
最高峰 | 旭岳 |
最大都市 | 札幌市 |
プロジェクト 地形 |
北海道地方のデータ | |
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1道の合計 | |
国 | 日本 |
面積 |
83,423.84 km2 |
推計人口 | 5,065,106人 |
人口密度 | 60.7人/km2 |
位置 | |
北海道(ほっかいどう)は、日本の北海道地方に位置する道。道庁所在地は札幌市で、47都道府県中唯一の「道」である。
この島を居住地の一つとするアイヌの言葉(アイヌ語)では、「アィヌモシㇼ」(ainu mosir、「人間の住む土地」の意)または「ヤウンモシㇼ」(ya un mosir、「陸地の国土」) と呼ばれる(なおアイヌモシㇼとはカムイモシㇼ(神々の土地)に対比される語であり、今日の北海道という地理的概念と同じ言葉ではない)。日本人(和人)は古代には渡嶋(わたりのしま)、近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいた[注釈 2][注釈 3]。
ロシアの進出に伴い江戸時代末期になると「異民族の住む地」を意味する「蝦夷地」のままではいけないという意見がみられたものの改称は実現しなかった。
明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討。1869年(明治2年)、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出し、「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「北海道」とすることを決定。明治2年8月15日太政官布告により「蝦夷地自今北海道ト被稱 十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事」と周知された。なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明している。しかし、言語学者の金田一京助は当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。
北海道は他の「都・府・県」と同格の地方自治法における普通地方公共団体(都道府県)の1つだが、他の都府県では「東京」「大阪」「京都」「富山」「福岡」のように行政区分を示す「都」「府」「県」を省略する呼び方があるのに対し、北海道の「道」を外して単に「北海」という呼び方をすることは普通ない。英語でも"Hokkaido Prefecture"または"Hokkaido"という呼び方をし、"Hokkai Prefecture"とする事は普通ない。これは「北海道」の語が、「東京」などと同様の地名の1単語として広く定着しているためと考えられる。なお、「北海」が社名や学校名などの固有名詞の一部分に使用される例(北海タイムス、北海学園大学など)はある。一方、「道」である普通地方公共団体は北海道のみであることから、「道」が「道産米」、「本道」、「道外」など、事実上北海道を唯一的に指し示す語彙(形態素)として広く普及している。他、「北」が略称となる場合もあり、例えばJR北海道は「JR北」、北海道畜産公社は「ホクチク」と呼ばれる。
後述の通り、1886年(明治19年)から1947年(昭和22年)まで北海道を管轄した地方行政官庁は、北海道庁であった。この場合、「北海道」は単なる地域呼称であって、「北海道庁」が「東京府」や「青森県」などと並んで置かれた官庁の名である(樺太と樺太庁の関係に同じ)。この「北海道庁」は、現在用いられているような地方自治体の中央官庁ではない。1901年(明治34年)に北海道会法および北海道地方費法が公布・施行されて「北海道会」という議会を持つ地方自治体となったが、自治体としては「北海道地方費」と呼ばれた。戦後、1946年(昭和21年)の第1次地方制度改革で市制・町村制・東京都制とともに府県制が改正された際、北海道会法と北海道地方費法が廃止されて道府県制に統合された。また改正法律の附則の規定により、従来「北海道地方費」と呼ばれていた自治体を「道」と呼ぶこととされた。地方行政官庁としての北海道庁は1947年(昭和22年)の地方自治法施行により、「北海道庁官制」とともに廃止され、同法に基づく普通地方公共団体としての北海道となった。
ブランド総合研究所による「都道府県の魅力度ランキング」で2023年現在、15年連続で1位に選ばれ、観光意欲度、食品想起率でも1位、情報接触度、居住意欲度でも2位になるなど各意欲の面で高い評価を得ている。
北海道本島は面積77,983.90平方キロメートル、日本の島の中では本州に次ぐ第2位の面積で、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の面積を持ち、樺太(同第23位)よりやや大きく、台湾島35,980平方キロメートルの約2倍の大きさである[注釈 4]。これは九州と四国を合わせた面積55,050.77平方キロメートルを上回る。四方を太平洋、日本海、オホーツク海に囲まれている。
北海道本島は、面積77,983.90平方キロメートル (km2) 、最高標高2,291メートル (m) [注釈 5]、本州、四国、九州とともに日本列島を構成する主要4島の一つ[注釈 6]。北海道本島は日本の国土面積の約2割を占め、本州の約3分の1、九州の約2倍、四国の約4倍に相当する。
上記4島の中では、唯一、島名と地方公共団体名が同じで、1「道」のみで管轄する島である[注釈 7]。 日本の島の中では本州に次ぐ第2位、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の大きさである[注釈 4]。
江戸時代までは一般的に、千島や樺太を含めて蝦夷ヶ島、本島単独では蝦夷地、北州、十州島などと呼ばれていたが[注釈 2][注釈 3]、明治2年(1869年)、古代日本の律令制における広域行政区画「五畿七道」の7つの「道」に倣って、北海道 (令制)と命名された[注釈 8]。
なお、地質学や考古学などでは北海道島という名称も使用される。
国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、北海道の面積は83422.23平方キロメートルである。
北海道の東西南北それぞれの端と重心は以下の位置である。北端は択捉島のカモイワッカ岬、南端は渡島小島、東端は択捉島のラッキベツ岬、西端は渡島大島にある。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は栗山町本沢にある。
東端、北端は日本政府、北海道当局の公式見解。前述のように、2022年現在施政権は及んでいない。
南の本州とは津軽海峡で隔てられているが、青函隧道により鉄路で繋がれており、同トンネル内で青森県に接している[注釈 9]トンネルの上の津軽海峡中央部は公海であるが、日本の排他的経済水域である。北は宗谷海峡を隔てて樺太と向かい合い、東には千島列島が連なり、間接的にではあるがロシアと国境を隔てている。西の日本海、南東の太平洋、北東のオホーツク海と、3つの海に囲まれており、周辺には対馬暖流とその分枝である津軽暖流・宗谷暖流、および親潮と東樺太海流が流れている。
北海道は大きく分けて胴体部に当たる菱形の部分と、南西の半島部(渡島半島を含む)よりなる。胴体部は南北に蝦夷山系と呼ばれる山地群が貫き、北海道の脊梁を成している。蝦夷山系は南の日高山脈に始まり、東の石狩山地・北見山地と、西の夕張山地・天塩山地に分岐しており、この二列の間には富良野盆地・上川盆地・名寄盆地などの盆地列が形成されている。頓別平野からこの盆地列を通り、鵡川の河谷に抜ける低地帯を北海道中央凹地帯と呼ぶ。
北海道東部は千島弧の延長である知床半島・根室半島や阿寒の山々が、それぞれ北東-南西の山列を成しながら全体としては東西に伸びている。この北側は北見山地からなだらかな傾斜が海岸近くまで続いて平野は少ないが、南側では十勝平野、根釧台地などの大平野が形成されている。
胴体部と半島部の間の地域は、石狩湾から石狩平野、勇払平野を通って太平洋へと抜ける石狩低地帯である[注釈 10]。ここには人口約200万を抱える札幌市や、千歳市、苫小牧市などが並び、北海道で最も人口が集中する地域となっている。
半島部には、石狩低地帯の西に位置する南西部山地と、その南西に延びる渡島半島があり、間に太平洋側から内浦湾(噴火湾)が入り込む。渡島半島は東北日本弧内帯の延長部に当たり、渡島山地がある。渡島山地と南西部山地の間には、日本海側の寿都町から内浦湾にかけての低地があり、黒松内低地帯という。
北海道の主な高峰は、蝦夷山系と千島弧の会合する中央部の石狩山地(大雪山連峰、十勝岳連峰など)と、その南に続く日高山脈に集中している。最高峰は大雪山の旭岳で、その標高は2,291メートルである。南西部山地には「蝦夷富士」と呼ばれる羊蹄山などの山がある(北海道の山の一覧も参照のこと)。
一級水系は13水系ある。石狩川、天塩川、十勝川、釧路川、網走川、常呂川、湧別川、渚滑川、留萌川、沙流川、鵡川、尻別川、後志利別川。
阿寒湖、大沼、屈斜路湖、サロマ湖、支笏湖、洞爺湖、摩周湖、ウトナイ湖、網走湖、能取湖、風蓮湖などの湖沼がある。
隣接県は青森県である。青森県をはじめ、北海道と各都府県は陸路、歩行では移動することができない。飛行機、船、青函トンネルを介して北海道新幹線に乗車のいずれかが必須となっており、いずれも運賃がかかる。
西岸海洋性気候や温暖湿潤気候が見られる道南の一部沿岸地域を除くと、亜寒帯湿潤気候である。日本海側、内陸部で冬の積雪は根雪となる。日本海側は特に豪雪地帯であり、一部市町村は特別豪雪地帯になっている。道北、道東の内陸部は寒さが非常に厳しい。太平洋沿岸部は、親潮の影響を受け夏は涼しく冬は比較的少雪。
津軽海峡が、生物地理学的にはブラキストン線と呼ばれ、北方系の種と南方系の種が交差する境界となっているため、本州以南に生息していない種も多い。
名前 | タイプ | ノート |
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タンチョウ | 動物相 | |
オオワシ | 動物相 | |
オジロワシ | 動物相 | |
エゾフクロウ | 動物相 | |
シマフクロウ | 動物相 | |
エゾライチョウ | 動物相 | |
シマエナガ | 動物相 | |
ハシブトガラ | 動物相 | |
エトピリカ | 動物相 | |
エゾオオカミ | 動物相 | 絶滅 |
エゾヒグマ | 動物相 | |
エゾシカ | 動物相 | |
エゾリス | 動物相 | |
エゾモモンガ | 動物相 | |
エゾナキウサギ | 動物相 | |
エゾユキウサギ | 動物相 | |
キタキツネ | 動物相 | |
エゾタヌキ | 動物相 | |
エゾクロテン | 動物相 | |
北海道犬 | 動物相 | |
道産子 | 動物相 | |
コモチカナヘビ | 動物相 | |
エゾサンショウウオ | 動物相 | |
オオルリオサムシ | 動物相 | |
オショロコマ | 動物相 | |
イトウ | 動物相 | |
シシャモ | 動物相 | |
ヒメマス | 動物相 | |
エゾホトケドジョウ | 動物相 | |
イシカリワカサギ | 動物相 | |
エゾマツ | 植物相 | |
アカエゾマツ | 植物相 | |
トドマツ | 植物相 | |
エゾツツジ | 植物相 | |
エゾカンゾウ | 植物相 | |
ハマナス | 植物相 |
「北海道」1道から成る地方を北海道地方と言い、人口5,475,783人で都道府県順位第9位、面積83,456.75km2で都道府県順位第1位、これは日本の総面積の約2割 (22.9%) に当たる。人口密度は全都道府県の中で最も低い。
また、国土交通省による日本の14地域区分の1つである北海道も、「北海道」1道から成る[注釈 11]。
なお、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島については「北海道」の領域に含まれるものの、日本の管轄下に置かれていない。すなわち、1945年(昭和20年)8月28日から9月5日にかけてソビエト連邦が不法占拠し、現在もその後継国家であるロシア連邦が継続して不法占拠中にあり、日本の施政権が及んでいない(北方領土問題参照)。
「北海道」には179の市町村(35市129町15村)、64の郡がある(この他、北方領土に5郡6村がある)。「北海道」では、森町を「もりまち」と読む以外は、町は全て「ちょう」、村は全て「むら」と読む。
北海道本島とその付随する島々(利尻島、礼文島、奥尻島、天売島、焼尻島、渡島大島、渡島小島、色丹島、歯舞群島など)、国後島、択捉島から成る地方公共団体が「北海道」であり、47都道府県で唯一の「道」である。
北海道は全体で一つの行政区域となっており、第二次世界大戦後の地方自治法で他の都府県とならぶ普通地方公共団体となった。北海道庁は札幌市中央区に置かれる。
歴史的には明治政府は北海道に開拓使を置いていた。同時期に道南の松前地方には館県・弘前県・青森県の管轄地域が存在したことがある。松前地方では版籍奉還により松前藩が館藩となり、廃藩置県で館県が成立。館県は弘前県に併合され、弘前県は青森県となったが、青森県からは再三にわたり松前地方の管轄免除、開拓使からは同地方の管轄の願い出が行われたため、1872年に松前地方も開拓使に移管された。
北海道に置かれた開拓使は開拓使十年計画が終わったことで、1882年に廃止され、北海道に札幌県・函館県・根室県が誕生した。ところが非効率的で開拓の実があがっていないという批判が多く、内閣制度発足による機構改革とともに、1886年、3県を廃止し、北海道全体を管轄する北海道庁が設置された。
北海道は、地方自治法155条第1項に基づき、支庁を設置している。「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」において「北海道総合振興局」(以下「総合振興局」)および「北海道振興局」(以下「振興局」)とされている。各総合振興局および振興局は、その所管区域において、納税証明書の発行および旅券発給などの窓口業務は、所管区域ごとに行った方が効率のよい業務を担当している。
2008年(平成20年)6月28日の北海道議会で、それまであった14支庁を9総合振興局に再編し、その下に総合振興局の出張所として5振興局を置くとする条例が可決された。しかし、檜山支庁、日高支庁、留萌支庁、根室支庁の支庁所在地を抱える管内各自治体では、住民の反発の声が上がり、地域経済の悪化に拍車が掛かることも懸念された。また、再編する際に必要な公職選挙法の改正が先送りされ(北海道では衆議院小選挙区区画区分を支庁管内境界で区分している)[注釈 12]、2009年(平成21年)4月1日実施は不可能となった。
これらのことから、当初の条例は施行されず、結局2009年(平成21年)3月31日の道議会で「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」が改正され、総合振興局・振興局への改称後も、どちらも同格の支庁として存続することになった。但し総合振興局は、隣接する振興局管内の広域行政を担うことができ、該当する振興局が条例で規定されている。
この改正では、網走支庁がオホーツク総合振興局となる以外は、名称は従来の支庁名が継承された。なお幌延町が旧留萌支庁管内から宗谷総合振興局管内へ、幌加内町が旧空知支庁管内から上川総合振興局管内に移った。
名称 | 自治体 コード |
振興局 所在地 |
位置 | 所管区域 | 市 | 町 | 村 | 人口 (人) |
面積 (km2) |
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空知総合振興局 | 01420-6 | 岩見沢市 | 北緯43度11分51.3秒 東経141度45分59秒 | 空知・(石狩) | 10 | 14 | 263,569 | 5,791.59 | |
石狩振興局 | 01300-5 | 札幌市 | 北緯43度3分52.4秒 東経141度20分44.8秒 | 石狩 | 6 | 1 | 1 | 2,371,615 | 3,540.15 |
後志総合振興局 | 01390-1 | 倶知安町 | 北緯42度54分8秒 東経140度45分23.8秒 | 後志 | 1 | 13 | 6 | 190,812 | 4,305.88 |
胆振総合振興局 | 01570-9 | 室蘭市 | 北緯42度19分13.8秒 東経140度58分19.9秒 | 胆振・(日高) | 4 | 7 | 365,735 | 3,697.04 | |
日高振興局 | 01600-4 | 浦河町 | 北緯42度10分20.9秒 東経142度46分7.1秒 | 日高 | 7 | 60,243 | 4,811.13 | ||
渡島総合振興局 | 01330-7 | 函館市 | 北緯41度49分11.1秒 東経140度45分11.8秒 | 渡島・(檜山) | 2 | 9 | 362,566 | 3,937.46 | |
檜山振興局 | 01360-9 | 江差町 | 北緯41度51分33.7秒 東経140度7分41.2秒 | 檜山 | 7 | 31,074 | 2,630.32 | ||
上川総合振興局 | 01450-8 | 旭川市 | 北緯43度48分27.9秒 東経142度26分21.7秒 | 上川・(留萌) | 4 | 17 | 2 | 462,193 | 10,618.70 |
留萌振興局 | 01480-0 | 留萌市 | 北緯43度56分4.9秒 東経141度39分21.5秒 | 留萌 | 1 | 6 | 1 | 39,571 | 3,445.88 |
宗谷総合振興局 | 01510-5 | 稚内市 | 北緯45度23分51秒 東経141度42分3.1秒 | 宗谷 | 1 | 8 | 1 | 57,187 | 4,626.07 |
オホーツク総合振興局 | 01540-7 | 網走市 | 北緯44度1分35.5秒 東経144度15分39.3秒 | 網走 | 3 | 14 | 1 | 258,497 | 10,690.60 |
十勝総合振興局 | 01630-6 | 帯広市 | 北緯42度55分47.2秒 東経143度12分30秒 | 十勝 | 1 | 16 | 2 | 323,062 | 10,831.62 |
釧路総合振興局 | 01660-8 | 釧路市 | 北緯42度58分36秒 東経144度23分5.7秒 | 釧路・(根室) | 1 | 6 | 1 | 210,986 | 5,997.50 |
根室振興局 | 01690-0 | 根室市 | 北緯43度19分49.4秒 東経145度35分4.1秒 | 根室 | 1 | 4 | (6) | 67,996 | 3,497.32 |
※ 人口は2024年3月31日の住民基本台帳人口。
※ 面積は2015年10月1日全国都道府県市区町村別面積調。
※ 根室振興局の市町村の( )内は北方領土内の村。人口・面積には、北方領土を含まない。
一般的な区分は何通りかあるが、ここではその一例を挙げる。
胆振・日高・後志を道南に区分したり、オホーツクの北見網走地区を道北に区分したり、あるいは上川の大雪地区(旭川富良野地区)や空知の深川地区を道北に区分したりする例も見られる。
北海道庁は道内を6つの「地域生活経済圏 (PDF) 」に分けている。「道東地方」については面積が広いため3分割し計6地域とされている。
圏名 | 人口(人) | 範囲 |
---|---|---|
道南圏 | 393,640 | 渡島・檜山 |
道央圏 | 3,251,974 | 石狩・後志・空知・胆振・日高 |
道北圏 | 558,951 | 上川・留萌・宗谷 |
オホーツク圏 | 258,497 | オホーツク |
十勝圏 | 323,062 | 十勝 |
釧路・根室圏 | 278,982 | 釧路・根室 |
合計 | 5,065,106 | 北海道 |
北海道は東北地方に新潟県を加えた面積に匹敵する程広大であるため、旭川市、函館市、帯広市、釧路市の4市に、本州以南であれば都府県庁所在地にのみ設置される機関が置かれる例が見られる。
国の出先機関の支局などが札幌市・旭川市・函館市・帯広市・釧路市に設置される場合は、概ね振興局を分割することなく、その支局などが置かれる振興局と近隣の振興局を管轄することとなる。
一部の機関にあっては、歴史的経緯・地理的状況により、振興局を分割して管轄する場合がある。
日銀の管轄は、函館支店が渡島・檜山2振興局、釧路支店は釧路・十勝・根室3振興局を担当。その他は札幌支店が管轄するが、その中の釧路支店に所属する帯広事務所の管轄が十勝総合振興局、そして札幌支店に所属する旭川事務所の管轄が上川・宗谷・オホーツク3総合振興局となっている。
また、道内の放送局は7地域に分割される。詳細は、北海道の報道機関の一覧を参照。
北海道には数万年前の氷期にシベリアからマンモスやオオツノシカなどの大型哺乳動物を追いかけて、陸橋となった宗谷海峡を人類が渡ってきたとされる。約12,000年から13,000年前(- 8000年から- 9000年)には、氷河が後退し温暖となってからは本州からも渡来したようである。
道内各地での旧石器時代の発掘調査は、群馬県の岩宿遺跡で旧石器が発見されたことをきっかけに行われるようになった。それらの遺跡は約2万年前から1万3000年前の間、つまり後期旧石器時代と推定されている。現在のところ最も古い遺跡は、千歳市祝梅(しゅくばい)三角山遺跡と考えられている。この遺跡から採取した炭化材の年代は、放射性炭素年代測定法の結果、21450±750年BPであった。出土した石器類は、ナイフ形石器・尖頭器・削器・石核などである。これらの石器の原材料となった黒曜石の産地は「十勝石」の名で親しまれている白滝村が代表的である。他には、置戸・十勝三股・赤井川などがある。
縄文時代に入ると、渡島半島・函館市の女名沢遺跡など、本州からの亀ヶ岡文化の影響が見られるようになる。
縄文時代後期の周堤墓は北海道にしか見られず、特に石狩低地帯に集中している。最も大きいものは千歳市郊外にあるキウス周堤墓群で、知床半島の付け根部にある斜里町でも朱円遺跡、芦別市野花南、標津町伊茶仁(いちゃに)などで発見されている。
北海道ではストーンサークルが多く発掘され考古学上議論を呼んでいる。渡島管内森町の鷲ノ木遺跡、後志管内小樽市の忍路環状列石・地鎮山環状列石、余市町の西崎山環状列石、石狩地方では空知管内深川市の音江環状列石、旭川市の神居古潭ストーンサークルなど。
古くは『日本書紀』に渡島(わたりしま)として登場している。事実かどうかは諸説あるが、『日本書紀』には、斉明天皇が阿倍比羅夫に命じ、蝦夷を征するため、渡島へ1万の軍勢を送ったとある。比羅夫は蝦夷を下し、さらに降伏した蝦夷とともに粛慎なる異民族を討ち、捕虜を連れ帰ったという。
奈良時代、平安時代には出羽国と交易を行なった。当時の住民は、東北地方北部の住民と同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていた。恐らく両者は同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在のアイヌの先祖だと考えられている。
中世以降、北海道の住民は蝦夷(えぞ)と呼ばれ、北海道の地は蝦夷が島、蝦夷地(えぞち)など様々に呼ばれた。古代の蝦夷(えみし)は農耕も生活の柱としていたが、次第に狩猟・漁業に特化し、鉄などを日本人(和人)の交易で得るようになっていった。
また鎌倉時代以降になると、後の松前藩や和人地の基礎となった渡党の活動が見られるようになる。
室町時代には、渡島半島南端(後の和人地)に和人、渡党、アイヌが居住し、豪族が館を構えていた。和人の築いた道南十二館のひとつである勝山館跡では和人とアイヌの混住が考古学的にも確認されている。当地に割拠していた館主(たてぬし)らは安東氏と被官関係を結んでおり、かれらが北海道に渡った時期は不明であるが、その多くは鎌倉時代に津軽や糠部の北条氏所領の代官層であった侍の子孫とも考えられている。室町・戦国期には本土から和人の渡海者が増え、現地のアイヌとの間に対立が起きたという。近世以前の北海道に関しては松前藩の由緒を記した『新羅之記録』(寛永20年(1643年)成立)があり、同書に拠れば康正3年/長禄元年(1457年)に起きたコシャマインの戦いで、甲斐源氏・若狭武田氏の子孫とされる武田信広がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決した。信広は蠣崎氏を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々蝦夷地の南部に支配権を築いた(松前藩)。
松前藩の経済基盤はアイヌとの交易にあった。安土桃山時代から江戸時代にかけて松前氏は征夷大将軍より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていった。アイヌはシャクシャインの戦いやクナシリ・メナシの戦いで蜂起したものの、松前藩によって鎮圧された。天明4年(1784年)からは蝦夷地の開拓を始め、沿岸にいくつかの入植地が建設された。
江戸時代後期に、ロシアがシベリアから領土を広げつつ日本と通商を求めるようになり、鎖国を維持しようとする日本に北海道近辺で接触した。中にはゴローニンや高田屋嘉兵衛のように相手国の捕虜になった人もいた(ゴローニン事件)。ロシアの脅威に対する北方防備の必要を認識した江戸幕府は、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵、伊能忠敬といった者に蝦夷地を(樺太・千島列島を含め)探検させ、地理的な知識を獲得した。また、寛政11年(1799年)に東蝦夷地を、文化4年(1807年)には西蝦夷地を松前氏から取り上げた。また、統治機構として享和2年(1802年)に蝦夷奉行を置き、後に箱館奉行、松前奉行と名を変える。幕府の統治はアイヌの負担を若干軽減したが、基本的な支配構造には手を付けなかった。ゴローニン事件解決以降、ロシアの領土拡大的な南下が停滞したため、奉行は文政4年(1821年)に廃され、全蝦夷地は松前藩に還付された。
律令制・幕藩体制の延長期
移住者の出身府県 戸数別(明治15年〜昭和10年) | |
出身府県 | 戸数 |
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青森県 | 68,855 |
秋田県 | 64,067 |
新潟県 | 61,636 |
宮城県 | 51,831 |
富山県 | 48,445 |
石川県 | 47,901 |
岩手県 | 40,318 |
山形県 | 39,009 |
福島県 | 33,122 |
福井県 | 27,392 |
東京府 | 21,862 |
徳島県 | 17,970 |
岐阜県 | 15,297 |
香川県 | 14,367 |
広島県 | 10,777 |
愛知県 | 9,377 |
愛媛県 | 9,239 |
兵庫県 | 9,047 |
鳥取県 | 7,665 |
茨城県 | 6,950 |
滋賀県 | 6,533 |
長野県 | 5,956 |
高知県 | 5,810 |
岡山県 | 5,563 |
栃木県 | 5,473 |
静岡県 | 5,234 |
奈良県 | 5,049 |
大阪府 | 5,033 |
福岡県 | 5,017 |
山口県 | 4,951 |
神奈川県 | 4,948 |
三重県 | 4,914 |
千葉県 | 4,670 |
山梨県 | 4,642 |
和歌山県 | 4,559 |
群馬県 | 3,891 |
埼玉県 | 3,890 |
京都府 | 3,751 |
熊本県 | 3,481 |
島根県 | 3,150 |
佐賀県 | 2,602 |
鹿児島県 | 2,505 |
大分県 | 2,472 |
長崎県 | 1,500 |
宮崎県 | 624 |
沖縄県 | 67 |
その他 | 5,794 |
総数 | 717,206 |
慶応4年/明治元年4月12日(1868年5月4日)に、新政府は蝦夷地にそれまで置かれていた箱館奉行を箱館裁判所に置き換え、すぐにその名を箱館府と改めた(府藩県三治制)。これに伴い、道内でもそれまでの公議御料(幕府直轄領)は天領(天皇の御料)となった。ただし、明治元年12月(1869年1月)旧幕府軍が五稜郭を占拠し榎本武揚を首班とする「蝦夷共和国」が成立、翌年にかけて新政府軍との間で戊辰戦争の一つ箱館戦争が戦われた。旧幕府側の降伏直後の明治2年(1869年)、和人地および蝦夷地(北州)には大宝律令の国郡里制を踏襲し北海道11国86郡が置かれた(→北海道 (令制))。同年7月(天保暦)館藩(松前藩)領以外は箱館県(箱館府の後身)から引き継ぐ開拓使(「使」という名称は、律令制下で使用された臨時の独自な任務をこなす令外官である。東北地方などには按察使が置かれた)が設けられ北海道の開拓は本格化した。当初、開拓使直轄領以外では、道外の藩・士族・寺院・華族などによる幕藩体制と同様の北海道の分領支配も行われていた。また、同年10月場所請負制が漁場持と名称を変えしばらくの間存続することとなった。
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1943年(昭和18年)3月20日には町村制の改正により北海道一・二級町村制が廃止(旧二級町村は特例で指定町村と)された。1946年(昭和21年)9月27日の府県制改正にともない、北海道における自治制度を規定していた「北海道会法」と「北海道地方費法」が廃止されて「道府県制」に移行し、指定町村の特例も廃止されている。もっとも、和人の「開拓」はアイヌにとっては土地収奪と強制移住を伴うものであり、「日本による侵略」であったとする見方もある(本多勝一など)。
1902年(明治35年)、1913年(大正2年)、1931年(昭和6年)、1941年(昭和16年)は冷夏になり、農作物の収率が例年の半分以下になる大凶作となった。また、1912年(明治45年)3月、暴風雪が発生し、死者68人の被害。
1932年(昭和7年)8月25日から15日間道内で降り続いた雨は石狩川、天塩川、幌内河、夕張川、美唄川、江別川などを氾濫させた。前年の凶作に追い打ちをかける水害により農村部は疲弊した。
1936年(昭和11年)10月3日、北海道全域で暴風雨。釧路市では民家の裏山が崩れ死者7人。渡島半島では大島村で死者16人、小島村で死傷者16人、吉岡村で死者1人。どの町村も民家の流失多数。港湾施設も道路や船入澗(防波堤、係留施設)が大破して漁船が全滅に近い状態となった。
1950年(昭和25年)、北海道を開発するため、調査・立案及び実施に関する事務を担当する北海道開発庁が総理府の外局として設置された。北海道内には北海道開発局と各地方に開発建設部が置かれ、開発の任に当った。第二次世界大戦の復員兵や、旧植民地からの帰還者の受け入れ先として北海道が注目され、人口が急増した。
戦後復興と高度経済成長期の初めは、北海道産の石炭が重宝され、多くの炭鉱労働者が北海道で暮らしたが、1960年代に石油へのエネルギー転換が起こり、1980年代までにほとんどの炭鉱が閉山された。これに伴い、不要になった鉄道が相次いで廃止され、市民生活の自動車化が推し進められた。道路網の整備が行われ、道央自動車道をはじめとする高速道路が建設された。他の都府県は直轄国道(旧一級国道)以外の整備補修を自ら行うのに対し、北海道はすべての国道を国が管理する体制がとられた。
1967年(昭和42年)には旭川市旭山動物園が開園し、1968年(昭和43年) には北海道百年記念祝典が開催された。
また、1971年(昭和46年)に日本で4番目の地下鉄となる札幌市営地下鉄が開業。翌1972年(昭和47年)にはアジア初の冬季オリンピックである第11回冬季札幌オリンピックが開催され、オリンピック後の4月1日には札幌市が政令指定都市に指定された。
1988年(昭和63年)7月20日には、新千歳空港が千歳空港に代わる民間航空用の空港として開港した。
2001年(平成13年)の中央省庁再編により、北海道開発庁は統合され、国土交通省北海道局となった。それに伴い、北海道開発局は国土交通省の地方支分部局となった。
2003年(平成15年)9月26日午前4時50分ごろ、 十勝沖地震 - Mj 8.0(Mw 8.0〜8.3)、北海道新冠町・静内町・浦河町・鹿追町・幕別町・豊頃町・忠類村・釧路町・厚岸町で最大震度 6弱、死者・不明者2人。津波警報が発表され2メートルを超える津波が来襲し2人が飲み込まれ、2年後に1人が遺体で発見された。
2008年(平成20年)7月7日〜7月9日 - 北海道洞爺湖サミット開催。
2010年(平成22年)、支庁制度改革、支庁を「総合振興局・振興局」と改称。
2018年(平成30年)9月6日午前3時8分ごろ、胆振地方中東部(北緯42.7度 東経142.0度)で最大震度7 (M.6.7) を観測する北海道胆振東部地震が発生した。厚真町では震度7を観測した。北海道で震度7を観測したのは観測史上初。
北海道の人口は522万4614人(2020年(令和2年)10月1日、国勢調査)であり、都道府県単位で全国8位である。しかし、面積が広大である為人口密度は最も低く、これが地域の特色にもなっている。
1869年(明治2年)の6万人から始まり全国で最も少なかった人口はその後急速な増加傾向が続き、1886年には30万人、1901年には100万人を超え、1959年には初めて500万人を超えた。1997年(平成9年)に過去最多の570万人に達するも、出生数の低下や高齢者人口増に伴う死亡数増加、転出増加により2000年に568万人、2005年には563万人に減少した。その後も減少傾向は続いている。
増加 7.5 - 10.0 % 5.0 - 7.5 % 2.5 - 5.0 % 0.0 - 2.5 % | 減少 0.0 - 2.5 % 2.5 - 5.0 % 5.0 - 7.5 % 7.5 - 10.0 % 10.0 % 以上 |
北海道と全国の年齢別人口分布(2005年) | 北海道の年齢・男女別人口分布(2005年) | ||
■紫色 ― 北海道
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | ||
北海道の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
北海道は纏まった人口が定住し始めてからの歴史が明治時代以降と浅く、本州以南と比較して都市が短期間で計画的・人工的に作られた側面が大きい。そのため他の多くの都府県と比べ、主要都市部に人口が偏在する傾向が強い。特に20世紀後半以降は札幌市への人口集中が続いており、2023年時点において道人口全体の38%を占め道内の他の自治体を大きく圧倒している。さらに札幌市とその周辺地域(石狩振興局に加え、札幌都市圏に含まれる小樽市と南幌町)を合計すると約250万人に達し、道面積の5%程度の地域に人口の半分が集中していることになる。その他の地域は軒並み中小都市が点在する様相となっており、2番目の人口規模をもつ旭川市でさえ札幌市の人口の6分の1程度しかない。道内の179の自治体のうち政令指定都市は札幌市の1市、中核市は旭川市と函館市の2市で、施行時特例市は存在しない。
人口の都市集中は、小規模市町村の人口密度がさらに低いことを意味する。家屋の密度が著しく低く、大区画でほぼ無人の畑地・牧草地が広がる大地を、どこまでも続く直線道路が切っていく景観は、人口密度の低さで北海道につぐ東北地方でも見られない、北海道独特のものである。2022年(令和4年)現在で179の自治体のうち、およそ83%に上る149の自治体が過疎地域に指定されている。
北海道地方の主要都市 | |||||||||
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# | 都市名 | 地域名 | 人口 | # | 都市名 | 地域名 | 人口 | ||
1 | 札幌市 | 石狩 | 1953600人 | 11 | 室蘭市 | 胆振 | 75716人 | ||
2 | 旭川市 | 上川 | 318087人 | 12 | 岩見沢市 | 空知 | 75034人 | ||
3 | 函館市 | 渡島 | 238253人 | 13 | 恵庭市 | 石狩 | 70076人 | ||
4 | 苫小牧市 | 胆振 | 166241人 | 14 | 石狩市 | 石狩 | 57481人 | ||
5 | 帯広市 | 十勝 | 161550人 | 15 | 北広島市 | 石狩 | 56765人 | ||
6 | 釧路市 | 釧路 | 155914人 | 16 | 登別市 | 胆振 | 44076人 | ||
7 | 江別市 | 石狩 | 118237人 | 17 | 北斗市 | 渡島 | 43282人 | ||
8 | 北見市 | オホーツク | 110740人 | 18 | 滝川市 | 空知 | 36812人 | ||
9 | 小樽市 | 後志 | 105751人 | 19 | 網走市 | オホーツク | 32343人 | ||
10 | 千歳市 | 石狩 | 97455人 | 20 | 伊達市 | 胆振 | 31567人 |
2023年4月9日に行われた道議会議員選挙の結果を反映している。
会派名 | 議員数 | 所属党派 | 女性議員数 | 女性議員の比率(%) |
---|---|---|---|---|
自由民主党・道民会議北海道議会議員会 | 54 | 自由民主党49人・無所属5人 | 5 | 9.25 |
北海道議会民主・道民連合議員会 | 26 | 立憲民主党23人・無所属3人 | 6 | 23.1 |
北海道結志会 | 9 | 無所属9人 | 1 | 11.11 |
北海道議会公明党議員団 | 8 | 公明党 | 2 | 25.0 |
日本共産党北海道議会議員団 | 2 | 日本共産党 | 2 | 100 |
維新・大地 | 1 | 日本維新の会・(新党大地) | 1 | 100 |
定数 | 100[注釈 16] | 17 | 17.0 |
2022年(令和4年)度の実質公債費比率は19.1%と、全国最下位。
2021年(令和3年)現在、衆議院議員選挙は、小選挙区を12区に分け、比例北海道ブロック議席は8議席保有している。
比例北海道ブロック
平成29年度(2017年)の道内総生産は19兆4301億円であり、1人当たりの道民所得は268万2千円となっている。これは世界40位前後の「国」に相当する経済規模を有している。北海道内総生産の産業別構成比は、第一次産業が4.1%、第二次産業が16.9%、第三次産業が79.0%である(2014年度)。全国平均と比べて第一次、第三次産業の比率が高く、第二次産業、特に製造業の比率が小さく全国の2分の1以下となっている(全国18.5%に対し北海道は8.6%)。製造業における業種別構成を全国と比べると食料品、パルプ・紙のウエイトが高く、繊維や非鉄金属、精密機械などのウェイトが低くなっている。
林業は明治期より基幹産業のひとつである。ブラキストン線以北で冷帯気候に属する北海道の森林、特に北海道北東部はトドマツ(マツ科モミ属)、アカエゾマツ(同科トウヒ属)やカラマツ(同科カラマツ属)など冷帯気候を好むマツ科針葉樹が主体となる。道内で最も蓄積が多い樹種はトドマツで全蓄積の6割にあたるという。スギやヒノキなど日本本土で人工林の主体となるヒノキ科針葉樹は道内に天然分布せず、特にヒノキに関しては寒冷地では漏脂病という致命的な病気にかかりやすいので人為的にも植栽されない。スギおよび同科のヒバは道南を中心に持ち込まれて植栽されている。札幌市中央区の円山公園には、日本最北のスギ人工林がある。
モミやトウヒの仲間はスギ・ヒノキと比べて腐りやすく、住宅用構造材としては不適切である。そのため板材やパルプ用途などへの利用が中心だったが、人工乾燥と防腐剤の発達による耐久性向上や集成材加工による強度の均一化により徐々に見直されつつある。カラマツは強度があるが乾燥時に狂いやすい欠点がある。そのため坑木や梱包材などに留まっていたが、こちらも乾燥技術の向上などで住宅用構造材に利用可能な製品が開発されつつある。
北海道のカラマツは自然分布していた樹種ではなく、明治以降に長野県から人為的に持ち込まれたものである。カラマツは道内の気候に適応し生長は早いものの、ネズミの食害による苗木の枯死の多さが問題となっていた。これを改善する研究が道や国の研究機関などで進められ、同属外来種のグイマツを掛け合わせる交配により、生長の速さと食害抵抗性を兼ね備えた雑種を生み出した。外来種樹木の品種改良はニュージーランドにおけるラジアータマツの育種が知られるが国内では珍しい事例となっている。 カラマツ、グイマツ以外の他地域樹種の導入も模索され、ストローブマツ(北米原産)、バンクスマツ(同)、ニセアカシア(別名ハリエンジュ、同)、ヨーロッパトウヒ(別名ドイツトウヒ、欧州原産)、ヨーロッパアカマツ(同)なども造林されたが、劣悪な土地でも生長が速く砂防・治山や薪として有用、蜜源植物にもなるニセアカシアを除くと試験的なものに留まった。ニセアカシアについても要注意外来生物に指定され、今後広く植栽されることは無くなった。これらの樹種の多くは旭川市にある外国樹種見本林に植栽されている。
針葉樹だけでなく、広葉樹生産が盛んなことも北海道の林業の特徴の一つである。ミズナラ、イタヤカエデ、アオダモ、ハルニレ、ウダイカンバ、センノキなどの有用広葉樹の産地として知られる。広葉樹材の家具の産地として旭川市が知られるほか、木材は全国各地へと出荷されている。 2019年秋、令和の大嘗祭のため造営された大嘗宮の鳥居には、北海道産ヤチダモが使用された。
北海道では第二次産業の占める割合が全国に比べて極めて低い。
北海道は広域であると同時に単独で地方を構成し、道全体を管轄する北海道警察が置かれている。警察通信事務は警察庁の地方機関である「北海道警察情報通信部」が行う。
国民生活基礎調査によれば北海道の子どもの貧困率は16.3%(2012年高橋道政下)、生活保護世帯の高校進学率は96.7%(2013年3月)で50人に約2人が高校進学に到っていない。
以前は日本各地の空港と直接結ぶ路線も多様に見られたが、近年は新千歳空港乗継と東京国際空港(羽田)乗継に路線が整理縮小されてきている。
空港 | 旅客合計 | 国内線 | 国際線 | |||
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旅客数 | 定期便 | 旅客数 | 定期便 | |||
新千歳 | 2309万2374人 | 1959万7660人 (905万7780人) |
道内 | 稚内・女満別・ 釧路・中標津・函館 |
349万4714人 | ユジノサハリンスク・ウラジオストク・ ソウル・釜山・光州・北京・上海・大連・南京・ 天津・杭州・無錫・福州・青島・成都・ 香港・台北・高雄・ホノルル・ マニラ・バンコク・クアラルンプール・ シンガポール・ヘルシンキ・(シドニー) |
道外 | 青森・花巻・秋田・ 仙台・福島・山形・ 茨城・羽田・成田・ 新潟・富山・小松・ 松本・静岡・中部・ 伊丹・関西・神戸・ 岡山・広島・松山・ 福岡・那覇・ (出雲)・(徳島) | |||||
函館 | 178万3507人 | 159万5017人 (101万3493人) |
道内 | 新千歳・丘珠・奥尻 | 18万8440人 | 台北 |
道外 | 羽田・中部・伊丹 | |||||
旭川 | 113万0715人 | 107万4361人 (94万2088人) |
道外 | 羽田・中部・(伊丹)・(関西) | 5万6354人 | 台北・(ソウル)・(北京)・(上海) |
女満別 | 83万4427人 | 83万4427人 (49万5094人) |
道内 | 新千歳・丘珠 | 0人 | - |
道外 | 羽田・中部・(伊丹)・(関西) | |||||
釧路 | 74万6446人 | 74万5912人 (50万9452人) |
道内 | 新千歳・丘珠 | 534人 | - |
道外 | 羽田・関西・(中部)・(伊丹) | |||||
帯広 | 67万0482人 | 66万6149人 (61万3258人) |
道外 | 羽田・(中部) | 4333人 | - |
丘珠 | 25万1179人 | 25万1179人 | 道内 | 利尻・女満別・中標津・釧路・函館・奥尻 | 0人 | - |
道外 | 三沢・秋田・新潟・(松本)・(静岡)・(小牧) | |||||
中標津 | 20万7050人 | 20万7050人 (7万8969人) |
道内 | 新千歳・丘珠 | 0人 | - |
道外 | 羽田 | |||||
稚内 | 19万8796人 | 19万8796人 (11万3205人) |
道内 | 新千歳 | 0人 | - |
道外 | 羽田 | |||||
紋別 | 7万2688人 | 7万2688人 (6万7783人) |
道外 | 羽田 | 0人 | - |
利尻 | 4万5804人 | 4万5804人 | 道内 | 丘珠・(新千歳) | 0人 | - |
奥尻 | 1万0914人 | 1万0914人 | 道内 | 丘珠・函館 | 0人 | - |
礼文 | 0人 | 0人 | - | - | 0人 | - |
北海道では、独特な文化が見られる。神棚や玄関、車の正月用飾り付けおいても注連縄のような質素なものではなく、宝船(七福神)を模したものである。また企業が北海道限定品を発売する例がある。
日本各地の人々が北海道開拓のために移り住んだこともあり、各地の地方文化とともにそれらが融合して新しくなった北海道独自の食文化が見られ、呼称も独自のものがある。また、北海道で生産された食べ物をひっくるめて「道産物」と総称される事もある。
公的に「北海道民のうた」として定められているのは、1967年5月27日に制定された以下の3曲である。
戦前は1908年発表の唱歌「われらが愛する北海道」が主に愛謡されていた。
2008年(平成20年)7月7日 - 7月9日の3日間、第34回主要国首脳会議(通称:北海道洞爺湖サミット)が洞爺湖畔で開催された。
※1978年〜1992年の受賞者は道庁HPに不記載
先代 北海道庁 |
行政区の変遷 1947年 - |
次代 ----- |