おとべちょう 乙部町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(檜山振興局) | ||||
郡 | 爾志郡 | ||||
市町村コード | 01364-1 | ||||
法人番号 | 1000020013641 | ||||
面積 |
162.59km2 | ||||
総人口 |
3,213人 (住民基本台帳人口、2024年3月31日) | ||||
人口密度 | 19.8人/km2 | ||||
隣接自治体 |
檜山郡江差町、厚沢部町、 二海郡八雲町 | ||||
町の木 | スギ | ||||
町の花 | ユリ | ||||
町の鳥 | なし | ||||
乙部町役場 | |||||
町長 | 寺島努 | ||||
所在地 |
〒043-0103 北海道爾志郡乙部町緑町388 北緯41度58分07秒 東経140度08分08秒 / 北緯41.9685度 東経140.13561度座標: 北緯41度58分07秒 東経140度08分08秒 / 北緯41.9685度 東経140.13561度 | ||||
外部リンク | 乙部町 | ||||
ウィキプロジェクト |
乙部町(おとべちょう)は、北海道南西部、檜山振興局中部にある日本海に面した町。爾志郡に属する。
渡島半島上に位置する町であり、西に日本海を臨む。本町の南に位置する江差町などと共に、江戸時代中期頃からにしん漁の漁港として栄えた。
町名はアイヌ語の「オトウンペ」(河口に沼のある川)に由来する。その川は現在の姫川である。
北緯41°58、東経140°08。南は江差町、北は八雲町熊石地区に隣接し、東は乙部岳、突符岳を背に厚沢部町とも境界をなす。町域は東西17.3km、南北15.6kmで、総面積は162.53km2である。全体が波状性丘陵地であり、海岸線まで山が迫り平野部は少ない。町域海岸部の大半は檜山道立自然公園に指定されている。海岸沿いに国道229号線が走り、町域全体の81%が山林であり、人口は海岸部の集落に集中している。町政施行は昭和40年で、人口も1万人を超えたこともある。役場の所在地は、檜山振興局が所在する江差町、厚沢部町役場へ12km、上ノ国町役場へは18km、せたな町には60km、今金町には80km、渡島総合振興局の所在する函館市から71kmの位置にあり、隣接する八雲町役場には約60kmである。管内他町と同様、漸次人口減の傾向を見せている。
2024年、民間の有識者らで作る人口戦略会議は、各市町村における将来の20歳-39歳女性の人口減少率を予想。乙部町では、2020年から2050年までの30年間に75.8%減少するとし、将来的に消滅する可能性が高い「消滅可能性自治体」であることが公表された。
乙部町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 乙部町の年齢・男女別人口分布(2005年) | ||
■紫色 ― 乙部町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | ||
乙部町(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
姉妹樹:中華人民共和国湖南省張家界市・武陵源(世界遺産)内の「重歓木」 / 森の巨人たち百選選定「縁桂」(互いに連理の木である。)
警察
林野庁
消防
乙部には、近代以前から和人が居住していたので、本州同様居住者対象の寺子屋は存在していた。 記録は散逸して定かではないが、1850年(嘉永3年)には寺院利用の寺子屋があったという記述が残されている。
明治時代、「学制」の施行により、開拓使の手により、学校の開設は進められていった。乙部においては、各村からの拠出金により、学校は次々と開設されていったようである。1878年(明治11年)頃には、乙部学校(乙部村)、突符学校(突符村)、三ツ谷学校(三ツ谷村)、小茂内学校(小茂内村)蚊柱学校(蚊柱村)がそれぞれ開校している。突符学校では特に向突符(元和)は遠隔であるとして分校を設け、1882年(明治15年)に愛教学校として開校している。その後、学校制度改正に合わせて変遷し、戦後の学制改革によって、新制小学校として、乙部小学校、姫川小学校、姫川小学校富岡分教場、栄浜小学校、栄浜小学校元和分校、明和小学校が発足した。 その後、少子高齢化等の児童数減少により、元和分校・富岡小(中)学校がそれぞれ休廃校し、2011年(平成23年)3月、姫川小学校が115年の歴史に幕を閉じ、児童は乙部小学校に編入した。また、2022年(令和4年)3月、栄浜小学校も乙部小学校に編入された。
戦後の学制改革によって、新制中学の設置が見られ、乙部中学校、栄浜中学校、姫川中学校、明和中学校がそれぞれ小学校に併設されて発足した。1950年(昭和25年)には、富岡分教場が中学校併置で分離独立して富岡小中学校となり、昭和30年代までに各中学校も独立校舎を新築している。その一方で、生徒減や校舎の老朽化、交通の改善で学校の統廃合が行われ、1981年(昭和56年)に元和分校が廃校、1997年(平成9年)には富岡小中学校は休校となった。
2003年(平成15年)、過疎化による人口減や少子化による生徒数の減少を考慮し、町内の5中学校(休校中の富岡中含む)の統合計画が確定し、2004年(平成16年)より町内中学校が統合、新設「乙部中学校」が新校舎と共に町内唯一の中学校として発足した。
2006年度(平成18年度)、高齢者等の生活弱者に対する雪かきなどのボランティア「猫の手活動」や、地域の総合的学習を積極的に推進し、それが評価され、北海道教育実践表彰を受けた。
1949年(昭和24年)、北海道江差高等学校の乙部分校から独立して、定時制高校として北海道乙部高等学校が発足したが、昭和40年代半ばから、親の教育ニーズの変化や人口の流失等で入学者減が進み、江差、乙部、厚沢部、上ノ国の4町が結成した「檜山南部地区高校整備促進期成会」が、江差高校・厚沢部高校・乙部高校を統廃合する事を検討し、合意に至った。定時制高校としての乙部高校は、1982年(昭和57年)に最後の卒業生6人を送り出し閉校となった。
町内を鉄道路線は走っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR北海道函館本線八雲駅、あるいは北海道新幹線新函館北斗駅及び木古内駅。
なお、鉄道駅や高速バス乗り場と町内を直結する路線は存在せず、遠隔地との間を公共交通で移動する場合、江差ターミナルで乗り継ぎとなる。